経済・政治・国際

外部記憶装置なしにはさっぱりついて行けん会話だな(クラウド時代の思考術/狐)

 ども、広大なネットにたゆたうおぢさん、たいちろ~です。
 ”攻殻機動隊 S.A.C.(*1)”というアニメにこんなシーンが出てきます。電脳化という技術で人間の脳とインターネットがダイレクトに接続されている未来。通称”笑い男事件”とよばれるサイバーテロ事件の首謀者”笑い男”と、その事件を追う公安9課の”草薙少佐”が図書室(草薙少佐曰く”まるで情報の墓場”)で対峙する場面での会話ですが、なんせ会話に出てくるのがドアノーにサリンジャーにジガ・ヴェルトフにフレドリック・ジェイムソンに大澤真幸(*2)。後から登場した公安9課の”荒巻課長”の一言がこれ。

  さっきから聞いていたが、外部記憶装置なしにはさっぱりついて行けん会話だな

 その通りで、私もまったくついて行けませんでした。
 最近のネット技術だとダイレクトに脳と接続まではいきませんが、テキストのみならず会話や画像なんかも検索できる社会にはなっとりますが、だからといってそれが知的な会話や判断に結びつくかどうかはまた別。
 ということで、今回ご紹介するのは、クラウド化する社会と知性のお話”クラウド時代の思考術”であります


写真はたいちろ~さんの撮影。京都”伏見稲荷”で見かけた狐の絵馬です
多くの絵馬がいろいろ見つめている図はちょっと象徴的かも

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【本】クラウド時代の思考術(ウィリアム・パウンドストーン、青土社)
 ”検索”によりさまざまな情報が調べれる現代における知のあり方をまとめた本。
 原題は”Head in the Cloud:Why Knowing Things Still Matters When Facts Are So Easy to Look Up(クラウドの中の頭脳。事実を調べるのがとても簡単である時、まだものを知っていることが重要ですか
 邦題で見るとなんかのノウハウ本のようですが、これはミスリードじゃないかなぁ
【動物】
 ネコ目イヌ科イヌ亜科の一部。狭義にはキツネ属のこと。
 本書ではキツネを”さまざまな要素を取り入れる折衷主義者で、多くのアプローチに開かれていて、矛盾をこともなく容易にこなすことができる”象徴として出てきます。(これに対するのが”ハリネズミ(*3)”)


 本書から面白かったトピックをいくつか

〔無知の人は自分の無知を知らない:ダニング=クルーガー効果〕
 ”ダニング=クルーガー効果”というのは心理学者のダニング教授と大学院生のクルーガーが1999年に発表した”未熟さと無知 自分の無能力を認識できないことが思い上がった自己評価を導く”という実も蓋もない論文によるもの。簡単に言うと

 知識や技術にもっとも欠けた者の特徴は、知識や技術の欠損をまったく理解できない
 獲得点数の低い人は高い自己評価をし、高い人は低い自己評価をする

というもの。確かに知らないということを知らなければ”自分は知ってる”と勘違いすることもあるんでしょが、予想以上の結果だったとか

〔知識がある人のほうが所得が高い傾向がある(但し書き付き)〕
 質問事項にもよりますが、知識を豊富な人々はたくさんのお金をかせぐんだとか。
 いろんなパターンで実証してみるとそんな傾向があるようで、同じモデル(パターン)の人で比較したケースでは倍ほど違うなんてのが記載されてます
 これは、知識のある人のほうがない人よりさまざまな質問に対してクリエイティブな解決策を導き出せるからとか、お金の扱いを学んでいるとかなんて理由が指摘されています。

〔相関関係と因果関係は違う〕
 上記の但し書きがこれ

  相関関係は因果関係を証明していない
  相関関係の欠如を因果関係が間違いであることを証明する

というもの。上の例だと知識があることが理由で裕福になっている可能性以外に、裕福だと余暇の時間が十分にあるのでニュースを観たり本を読んだりできるので知識が豊富とか、親が裕福(第三の理由)で子供が金持ち、知識があるという理由も推察されています。
 概して統計データってのは事実は同じでも解釈が違ったりするんで、このへんもちゃんと突っ込んでいるのが好感できます。

〔学ぶことの意義:グーグル効果〕
 覚えておかなくてもアーカイブで保存できる(グーグルみたいの)だと非常にしばしば忘れ去られてしまうってこと。まあ”検索すりゃかわる”と思えばいちいち記憶しようなんて思わないのもわかりますが。
 受験生時代(はるか昔ですなぁ)だと、まず”覚えること”が山ほどあったんで、”なんでこんなこと覚えにゃならんのだ!、これを覚えてなんの得があるんだ!!”と思ったもんですが、今の若い人ならなおさらでしょうなぁ。
 知識を身につけるためにかかるコストが、知識を身につけたことによる利得を上回ることはままあること(てか、ほとんどの知識ってそうじゃね?)。まあ、覚えなきゃ受験に合格はしないんですけどね・・・ 本書でもロンドンのタクシードライバーが仕事に付くために要求されるテストがGPSナビにとって代わられるなんて話が出てきますが、クラウド化すりゃますますこのアンバランスが拡大するんでしょうね

〔学ぶことの意義:学習はすぐれた脳の機能を生み出し、より高い所得をもたらす〕
 上記に対しての救いの言葉(かな?)がこれ
 知識と所得の相関関係について考えられる説明として

  学習が認識能力を改善するということだ
  この能力はほとんどどんな仕事―― 一生従事する職業も含めて ――にも役に立つ
  学習はすぐれた脳の機能を生み出し、より高い所得をもたらす

ってのが書いてます。ちょっとは気休めになりますか、受験生のみなさん

〔キツネのように幅広い一般知識の取得を第一とする哲学は逆風に。だが・・・〕
 本書の最終章には、キツネのように幅広い一般知識の取得を第一とする哲学は逆風にさらされていて、ハリネズミのような大きな概念に関連づけるやり方のほうが支持されているてな記述があります。なぜなら情報はクラウド(ネット)にあって必要に応じて利用できるから。本書の結論としてはこれではダメなんだとか。これは情報をきちんと持っていることは、その文脈についても情報をもっているということ。

  それ(文脈)は、個々のものの評価を可能にしてくれ
  われわれが知らないことに、きわめて重要な洞察を与えてくれる全体への展望だ

 まあ、ブチブチの情報だけではなくって、全体の流れを含めた情報や認識能力がなきゃ、ネットにつながってるだけじゃ不十分ってことなんでしょうかね

 まあ、冒頭の笑い男と草薙少佐の会話もみたいに電脳空間にダイレクトにつながってなけりゃ成立しそうにないってのもありますが、これって単なる知識のひけらかしじゃないんですね。

  草薙少佐:それは経験から導きだされた貴方の言葉?
  笑い男  :Yes

 ネットと検索がはびこる世の中、この質問ってより重要になるんでしょうね、きっと

《脚注》
(*1)攻殻機動隊 S.A.C.(原作 士郎正宗、監督 神山健治、バンダイビジュアル)
 正式名称は”攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX”。現代のネットワーク社会が究極進化するとこうなりそうな未来社会を描いたSF。テレビ版は全26話ありますが、160分にまとめた総集編”攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man(バンダイビジュアル)”もありますので、初めての方はこちらをどうぞ。上記のセリフは総集編版のです。
(*2)ドアノーにサリンジャーにジガ・ヴェルトフに~
ドアノー:ロベール・ドアノー。フランスの写真家
J.D.サリンジャー:アメリカ合衆国の小説家。”ライ麦畑でつかまえて(白水社)”など
ジガ・ヴェルトフ:ソビエト連邦の映画監督。”カメラを持った男(メディアディスク)”など
フレドリック・ジェイムソン:アメリカの思想家。”政治的無意識(平凡社)”など
大澤真幸:日本の社会学者。”ナショナリズムの由来(講談社)”など。
 すいません、どれも読んだり観たりしてません。
(*3)ハリネズミ
 ハリネズミ目ハリネズミ科ハリネズミ亜科に属する哺乳動物の総称。
 本書では”すべてのことを、ある一つの中心となる大きな概念に関連づけるエキスパート”と記されています

ア・ア・ア デジタル・ゴールド お金と思~う今年の人よ~♪(デジタル・ゴールド/通貨)

 ども、Fintech(フィンテック)にちょっとだけからんでるおぢさん、たいちろ~です。
 Fintech(FinTech)つーのは金融(Finance)と技術(Technology)を組み合わせた造語”IT技術を使った新たな金融サービス”という意味。ところがこれがまた分かりにくいんですな。融資や資産形成のアドバイスをAIでやるだとか、スマホを使った決済や家計簿管理だとか、まあお金の処理に絡んだITだと何でもありの様相。群雄割拠というか玉石混交というか・・・ この中でも分かりやすそうで、実はよく分かんないのが”仮想通貨”というシロモノ。ちょっち真面目に勉強してみましょうということで、この本を読んでみました。
 ということで、今回ご紹介するのはそんな仮想通貨の歴史を扱った本”デジタル・ゴールド”であります。


写真はたいちろ~さんの撮影。松山城天守閣に展示されていた”藩札”です

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【本】デジタル・ゴールド(ナサニエル・ポッパー、 日本経済新聞出版社)
 ”ビットコイン”と呼ばれる仮想通貨。その始まりは謎の人物”サトシ・ナカモト”がネットにアップした論文だった。2009年、この論文を元に発行された”ビットコイン”は2016年12月には時価総額140億ドルを超える・・・
 サブタイトルは”ビットコイン、その知られざる物語
【道具】通貨
 流通貨幣の略称で、国家などによって価値を保証された、決済のための価値交換媒体(wikipediaより)。この”保証”と”媒体”ってのがミソで、昔の金貨ならいざしらず、現在の”紙幣=媒体”そのものの物理的価値なんか無いに等しく、じゃあなんでこれがありがたがられるかというと日本銀行(日本政府)が価値を保証してくれてっから。
 価値を保証してくれれば別に国家(中央銀行)でなくてもいい訳で、実際に明治の廃藩置県以前は”藩札”ってのがありました。この中には代官所や旗本領が発行する紙幣ってのもあったそうで、こうなるとポイントカードのノリに近いんでしょうか?(*1)


 さて、本書ですが著者がニューヨーク・タイムスの記者ということもあって非常にリアル、ってか生々しい話(原書の副題に”Inside Story”ぐらい)。なにかって~と、技術の発展と思想的側面に支えられた初期の開発者たちが夢見た世界の発展と挫折、後半に登場する資本家たちの利益追求の姿勢がきわめて対照的なんですな。元々”ビットコイン”が開発された思想的基盤ってのはリバタリアン(自由至上主義者)により国家や金融機関などの権力から通貨を解放し、ネットワーク上で自由に使える通貨を手に入れる”ってあたりに合ったんですが、現実は国家や資本主義とは無縁ではいられなかったと。気になったトピックをいくつか

〔発行主体を持たない”ビットコイン”の価値〕
 ”ビットコイン”が生まれた背景には”国家に通貨の発行を任せていると、価値が安定しない”という思想があります。これは初期のメンバにはハイパーインフレの国にいた人がいたり、アメリカ国内でもリーマンショック(経済危機)を目の当たりにしてたりなどがあったから。国家(政策)に振り回されなけりゃこんなことにならないだろうというのがそもそもの発想です。
 ”ビットコイン”そのものは”マイニング”と呼ばれるコンピューターをブンまわして計算される一連の文字列として表記され、これが有限の個数(そういう仕様)なので問題はないと初期の開発者は考えてました。実際は有限の資産に対する獲得競争があって1BTC(ビッコトコイン)あたりの価値は膨らんでますがインフレよりはまし?

〔金遣いの履歴を見られない権利〕
 一般論で言うと、現金ってのは誰がどこで何を買ったかはわかりません(*2)。でもカード決済や銀行経由の送金だとこれが一目瞭然。まあ、リコメンデーションあたりだと罪はないんでしょうが(*3)、考えようによっては不気味でもあります。ビッコトコインでは”ブロックチェーン(*4)”という技術を使って匿名性を確保する仕組みになっています。
 ただ、ヤバイもんに手を出すとはいろいろ問題がありそうで、実際ビットコイン普及の原動力になったののひとつは不法薬物のネット販売の決済利用ってのがあり、これが政府に目をつけられた原因に。マネーロンダリングやテロ組織への送金など匿名であるがゆえに政府がピリピリしている状況です。

〔手数料が高いんじゃね?!〕
 ”ビットコイン”が生まれた背景のもう一つに”送金手数料”や”カード手数料”が高いし、処理に時間がかかるってのがあります。これは”銀行”や”カード会社”といったハブ機能を持つ寡占的・規制的な存在があり、その背景には集権的で高コストなシステムが存在するからだと。”ビットコイン”はこのようなハブが存在しなくても成立するので手数料が安くできると。
 ですが、実際には本来は不要であるはずの交換所(ビットコインを預けたり払い戻しをするネット上の企業)が立ち上がって、マウントゴックス(*5)のように、ここが破綻すると払い戻しができなくなるという事態が発生します。

〔銀行 vs IT企業〕

 銀行というのは典型的な規制企業なので、どっちかとゆ~と新しいコトをやるのが苦手な業界ではないかと思われます。昨今はそうも言ってられないのでFintechに積極的に取り組んでる銀行も増えてきていますが。これは彼の国も同じだったようで。JPモルガン・チェース(アメリカの銀行持株会社)とIT企業とを対比した本書の記載。

  JPモルガンが新規事業に参入する際にもっとも重視するのは
  どれだけ儲かるかではなく、規制当局がどう思うかに変わっていった

   (中略)
  金融危機に巻きこまれなかったシリコンバレーの姿勢は180度違った
  アップル、グーグル、フェイスブックなどの成功に意を強くしたIT業界は、
  世界を変える自らの能力への自信を深めていた

   (中略)
  むしろほかの業界と比べて、既存のプレーヤーが規制を破ることを極端に恐れている金融は、
  変革の機会にあふれていると思われた

 はてさて、次世代の覇者はどっちなんでしょうかね?

 さて、本書を読んだ最大の理由が”ところで、ビットコインって何に使えるんだっけ?”なんですが、読んでもよく分かりませんでした。確かに、送金なんかの手数料は安くできそうだし、資産蓄積には使えそうなんで役には立つってのはわかるんですが、今ンとここれでモノが買えるとこがそんなにあるわけじゃなし、呑み代の支払いで受け取ってもらえるとこもあんましありそうでなし、誰かがその価値を担保してくれるわけでなし。
 お金で物が買えるってのはその通貨に何か価値があると考える”共同幻想”の賜物だと考えれば、今のお金だってビットコインだって大した違いがないっちゃないのかもしれませんが・・・


  ア・ア・ア デジタル・ゴールド お金と思~う今年の人よ~♪
  円と違う ドルと違う 元と違う ユーロと違~う♪
  ごめんね 今のお金と又比べている~~♪
(*6)

まっ、これを書いている12月30日の日経新聞に国内最大のビットコイン取引所”bitFlyer”が日経新聞に3面ぶち抜き+1/3広告×3という大広告を出してたんで実体経済にも認知されつつあるようなので、もうちっとでいろいろ使えるようになるんでしょうかね。期待して新年を迎えてみましょう

《脚注》
(*1)ポイントカードのノリに近いんでしょうか?
 カードのポイントは値引きや景品との交換に使えるので通貨っぽいと言えます。じゃあ、この価値を保証する企業が倒産するとどうなるかつ~と会計処理上”引当金”を積んでいれば無価値になることはない(はず)です。逆に言うとこれを積んでいなければ無価値になることも・・・
(*2)誰がどこで何を買ったかはわかりません
 推理小説なんかだと、銀行強盗で奪ったお金は番号が控えられているので使うと足が付くなんてのがありますので、全く分かんないわけではないんでしょうが。
(*3)リコメンデーションあたりだと罪はないんでしょうが
 リコメンデーション(推奨)の例としてはAmazonの”おすすめの商品”がこれ。ただし、アイドルの写真集なんかを立て続けに見てると”おすすめ商品”にそれっぽいのがいっぱい表示されちゃうのはちょっと困りモンかも。
(*4)ブロックチェーン
 インターネット上の複数のコンピュータで取引情報を共有し正しい記録を鎖(チェーン)のようにつないで蓄積する仕組み。日本語では”公開分散元帳”と訳されます。
 技術的な詳しい内容はでんでん理解してませんが、まあ物理学を理解してなくても自転車には乗れるようなもんだと思えば気にはなりませんが・・・
(*5)マウントゴックス
 2013年には世界のビットコイン取引量の70%を占めた交換所。ハッキングによりビットコインを喪失し、支払い不能になり2014年に破産。
(*6)ア・ア・ア デジタル・ゴールド~
 昭和の名曲”イミテイション・ゴールド”作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、歌:山口百恵)です。すいません、悪ノリしました。こんな曲です

このろくでもない、すばらしき世界に住む住民はエコン(ホモエコノミカス)にはなれないらしい(行動経済学の逆襲/切り株)

 ども、根がチキンハートなんで株式取引をしたことないおぢさん、たいちろ~です。 まあ、最大の理由は”お金がない”ことなですが。
 トランプ氏 VS クリントン氏によるアメリカ大統領選挙が終わりました。この結果が今後の世界経済にどう影響するかはわかりませんが、瞬間的にはすんげ~大波乱になっとります。密接な関係にある日米経済とはいえ、選挙当日11月9日の日経平均株価はトランプ氏優勢が伝えられると前日比919円(5%)下げ、現実路線の政策になりそうとなった翌日10日には前日比1,092円(7%)上昇。(日本経済新聞 11月12日より)
 先行き不透明とはいえ1~2日で日本経済のファンダメンタルズがこんなに変化するワケもなく、外から見てると相場がちょちょまっているんじゃね~かと思っちゃいます。なんでこんなことになっちゃうんでしょうね?!
 ということで、今回ご紹介するのは合理的とは程遠い経済の動きを経済学的なアプローチで解明しようとしている経済学者の本”行動経済学の逆襲”であります。

写真はたいちろ~さんの撮影(2014年8月頃)
鶴岡八幡宮の大銀杏の切り株です(*1)

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【本】行動経済学の逆襲(リチャード・セイラー、早川書房)
 合理的な考え方をする人間を前提に構築された伝統的な経済学に異を唱えた”行動経済学”の第一人者であるリチャード・セイラーによる、”行動経済学”の説明を伝記的な歴史解説の側面を加えて解説した本。
 原題は”Misbehaving:The Making of Behavioural Economics”。Behavioural Economicsの訳は”行動経済学”ですが”Misbehave”は”行儀の悪いことをする、不正を働く”という意味。まあ、伝統的な経済学から見ると行動経済学で扱う人間像って”正しくない”行動をする人なんでしょうなぁ
【花】切り株
 木を切った後の根元の部分。
 ”株式”の名前の由来は”株の部分がずっと残っている”という意味から世襲などによって継続的に保持される地位や身分を”株”というようになり、そこから共同の利権確保のための同業組合を”株仲間”というようになり、出資持分割合に応じて権利が保持されることを”株式”と呼ぶようになったとのこと(”語源由来辞典”より抜粋)
 現代でも相撲の親方になるのに”年寄株”ってのを耳にしますが、根っこは同じみたいです


 伝統的な経済学で扱う人間ってのは”ホモエコノミカス(homo economicus 合理的経済人)”、本書では略して”エコン”というモデルを想定しています。これはどんな人かというと,すべての選択を

 合理的期待(Rationarl Exprctations)

に基づいて行う人。簡単に言うと、自分で買うものはすべての財やサービスから最も最良な物を選び、余計なバイアス(偏り)がなく、自信過剰にはならず、どこまでも合理的で冷徹に行動する人。本書では”スタートレック”に登場する”ミスタースポック(*2)”のような存在を例に上げています。
 で、実際の人間(本書ではヒューマン)はどうかというと、モノを選ぶのはいいかげんだし、目先の利益にとらわれるし、同額なら利益を得るより損失のほうが悲しいし、自信過剰だしと、エコンとは似ても似つかない存在。つまり、

  このろくでもない、すばらしき世界に住む住民は
  エコン(ホモエコノミカス)にはなれないらしい
(*3)

ですな。
 本書では、行動経済学に登場する原点から左右非対称な価値関数だの、プロスペクト理論だの保有効果だの、サンクコストの誤謬だの、メンタル・アカウンティングだの、現在バイアスだの損失回避性などの各種のバイアスだのといったトピックが出てきます。単語だけ見るとおどろおろどしいですが、合理的に見ると正しくないけど実際にはやっちゃいそうな行動の説明なんで、意外なほどわかりやすいです。それぞれを説明してるとたいへんなので、本書を読んでいただければと。

 まあそんだけだと投げっぱなので気にいったトピックをひとつ。よく株価って美人コンテストに例えられますが(*4)、それのちょっと数学的バージョンを。セイラーがフィナンシャルタイムスで行ったクイズです。問題はこちら

  参加者は0から100までの中から任意の数字を1つ選びます
  全部の数字の平均値の2/3に一番近い数字を選んだ人が勝ちとなります
  あなたはどの数字を選びますか?

 一応、この問題には数学的な解き方が存在します。まず全員がまったくランダムに数字を選んだとすると、平均値は50になります。ですので2/3の答えは33。ところがもう少し頭のいい人がいると、”みんなが33を選んだら答えは22になるはず”という答えになります。これに気がついて2/3の掛け算を繰り返すと最終的には”0”に収束します(これをナッシュ均衡(*5)というそうです)
 実際にとうなったかというと、結果を多い順に並べると、”22”を選んだ人約8%、(2段階思考をした人)、”1”を選んだ人約7%&”0”を選んだ人約5%、合わせて約12%(経済学の訓練を受け過ぎている人)、”33”を選んだ人約6%、(1段階思考をした人)(カッコ内は本書でのコメント)。最終結果は約2%の人が選択した”13”になったそうです。
 この結果がなぜ気にいったかというと、世の中には頭の良い人だけじゃないんだな~ってのと、頭の悪い人がどう行動するかの”読み”ってのは計算だけじゃ出てこないんだな~と。セイラーはこの結果でフィナンシャルタイムスの読者は頭の良い人が多くてナッシュ均衡に気付いた(0や1を選択した)と言っていますが、実際には世の中には頭の悪い人(1~2段階で思考を止めた人や絶対出ない66以上を回答した人も僅かながらいた)がいてかなり平均を押し上げる結果になってます。さらにいうと”99”とか”100”を答えたいたずら行為をした人もいて(合計で約3弱%)、結果的には数学的な結果と一致しなかったと。

 まあ、考えてみりゃ世の中みんな頭のいい人ばっかりとは限んないし、いちびりもいてなかなか計算どおりにゃいかないんでしょうね。エコンをベースにした(このクイズだとナッシュ均衡の結果に賭けた人)ばっかりじゃないってのは当たり前っちゃ当たり前です。実際に自分のお金をかけて投資をするとなれば、同じ相場を見てもブルと判断する人もいれば、ベアと見る人間もいるんだろうから(*6)もっと数字通りにゃいかないんでしょうなぁ

 と、ここまで書いていて最近の気になる記事から。日経新聞が人工知能(AI)を使った対話型対応エンジン”日経DeepOcean”を提供するとのこと(日経新聞 2016年11月7日 HPはこちら)。データに基づいた数理統計的なAIの分析なんて、まさに究極の”エコン”かも。こいつの言う通りに動いたら伝統的な経済学の世界になっちゃうんでしょうか? それとも”第3の経済学”みたいのが登場するんでしょうかね?

 本書はちょっとお堅いような本ですが、物語っぽくなってる分だけ”行動経済学”の入門書としても良いかも。経済に興味を持っている人にはお勧めです

《脚注》
(*1)鶴岡八幡宮の大銀杏の切り株です
鶴岡八幡宮の大銀杏は、源頼家の子の公暁がこの銀杏の木に隠れて源実朝を殺害した(1219年)という伝説がある樹。2010年の強風により根元から倒れました。写真は根元から高さ4mまでの部分を元の樹の横に移植したものです
(*2)ミスタースポック
 アメリカのSF映画&TV”スタートレック”シリーズに登場する宇宙船エンタープライズ号の副長兼技術主任を務めるヴァルカン人(宇宙人)と地球人とのハーフ。普段は感情を抑制し表情に出さない、非常に合理的な思考のすが、持ち主ながら、時々感情に流されるのが魅力。
 13作目の映画”スター・トレック BEYOND”が公開中ですがまだ観に行ってないな~~
(*3)このろくでもない、すばらしき世界に住む住民は~
 缶コーヒー”BOSS”のCM”宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ”より。宇宙人ジョーンズはトミー・リー・ジョーンズが演じています。ちなみジョーンズの吹き替えを担当している菅生隆之は2009年からの新”スター・トレック”シリーズでは老年期ミスタースポックの声も担当してます、はい
(*4)美人コンテストに例えられますが
 たとえば100人の中から最も美しいと思われる人を6人選んで全体の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞金を与えるというゲームをやるとします。賞金を貰おうとすると、自分が最も美しいと感じる人ではなく、他の参加者が最も美しいと感じるであろう人を予測(場合によっては数次にわたって)することになるというもの。ケインズの説明だそうです。
(*5)ナッシュ均衡
 ナッシュ均衡は、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせである。ナッシュ均衡の下では、どのプレーヤーも戦略を変更する誘因を持たない(wikipediaより抜粋)。まあ、ボールの中に入ったピンポン球みたいな状態かと。
(*6)同じ相場を見てもブルと判断する人もいれば、ベアと見る人間もいるんだろうから
 相場などで上がると見る(強気)ことを角を下から上に突き上げる雄牛に見立てて”ブル(Bull)”、下がると見る(弱気)を爪を振り下ろして攻撃する熊に見立てて”ベア(Bear)”と言います。凶暴そうな動物にたとえていますが、ブルもベアもどっちも食べちゃう人間が一番凶暴なんですけどね

人間は頭で考えるより権威には服従するみたい。だとするといじめやハラスメントの問題に関心のある方は読んどいて損のない本です(服従の心理/トネリコ)

 ども、偉い人にへ~こらしないんで、あんまし出世してないおぢさん、たいちろ~です。
 大方の予想を裏切ってトランプ氏が第45アメリカ大統領になりました。どうも彼の国は閉塞感の漂う社会に強力なリーダーシップを求めたようです。まあ、リーダーシップのあることは別に悪いこっちゃないですが、かつて”カリスマ的なリーダーシップ”と”服従の国家システム”を構築することで後から考えると”なんでそんな非道なことをやったんや!”てことをやっちゃった国もあったんでね。
 別にトランプ氏が第二のヒットラーになるなんて言う気は毛頭ないんですが、状況がリーダーの思惑を超えておっとっとな過剰適用をしちゃうこともあります。歴史から教訓を学びうるのであれば、ちゃんと見るべきとこは見といて、嫌なものは嫌だと言わないとって~話です。まあ、彼の国だけの話ではないですが・・・
 ということで、今回ご紹介するのは人間というのは意外なほど権威に服従してひどいことをちゃっやいかねないという話”服従の心理”であります。

写真は”sasikiの雑記帳”のhpより。トネリコの木です

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【本】服従の心理(河出文庫、スタンレー・ミルグラム、訳 山形浩生)
 1960年から63年にかけて、アメリカのイェール大学である実験が行われた。通称”アイヒマン実験”。ナチス親衛隊中佐”アドルフ・アイヒマン”の名を冠するこの実験は、人間の権威に服従する心理を検証するものだった。そしてこの実験の結果は大方の予想を裏切るほど”人間は権威に服従する”ものだった・・・
 心理学者ミルグラムによる実験結果とその考察をレポートした本。
【花】トネリコ
 モクセイ科トネリコ属に分類される落葉樹。花言葉は”偉大、高潔、服従”など
 北欧神話に登場する世界を内包する”世界樹(ユグドラシル)”はセイヨウトネリコの樹だそうです。この樹から枝を1本折り取って”グングニル”という槍を作ったのが主神にして戦争と死の神”オーディン”、その枝の傷が元でこの樹は枯れてしまったそうです。なんだか象徴的だなぁ


 実験の名前の元となった”アドルフ・アイヒマン”という人ですが、”ユダヤ人問題の最終解決”という何百万人ものユダヤ人虐殺に関与し戦犯として処刑されたナチス親衛隊中佐。これだけ聞くと極悪非道の大悪人のように聞こえますが、この人がある意味有名なのは、その実態が大方の人がイメージしたような人物ではなく、家族を愛し、上からの命令で淡々と仕事をこなす普通の人だったこと。今風に言うと残虐なラスボスだと思って倒したら、実はその後ろにいる真のラスボスにへ~こらしているだけの小物だったみたいな・・・
 この人に興味がある方はハンナ・アーレントによる”イエルサレムのアイヒマン(*1)”を読んでいただければ。

 この実験の内容を簡単に説明すると

 ・外見は”人が正しく学習するのは、間違えたら罰を受ける場合”という主張の調査
 ・メンバーは
  被験者:学習に関する実験と称して公募された一般人
  学習者:学習をする人(被害者。実は役者だが被験者には内緒。以下被害者)
  実験者:権威としての実験を指揮する人
 ・学習者は15~450ボルトの電撃を発生させる機械と接続される
   (命に別条はないと説明されている)
 ・被験者は学習者が間違えるた電撃のスイッチを入れる
 ・電撃は答えを間違えるたびに15ボルトづつ強くなる
 ・被害者は75ボルトでうめきだし、150ボルトで助けてくれと叫び、
  270ボルトで苦悶の絶叫を上げ、330ボルトで何の反応も示さなくなる
 ・被験者が電撃を上げることに拒絶を示した場合、実験者は実験を続けるよう促す

このような条件の元での真の実験の目的は”被験者はどこまで電撃をあげるか”、つまり”被験者はどこまで権威に服従して加虐的な行為を取りうるか”を調べるというもの。あなたならどこまでボルトを上げますか?

 この実験に対し、どのぐらいまで電撃を上げるかを別のグループに聞いたところ、ほとんどの人が150ボルトは超えず、最高の450ボルトまで上げる人は0.125%しかいないだろうと予想されたとのこと。
 で、いろいろなシュチエーションで行われた実験の結果はというと、主だったものは

〔高位の結果〕
 ・被害者と離れている場合:65.0%(40人中26名)
 ・音声が聞こえている場合:62.5%(40人中25名)
 ・被験者以外にスイッチを押す人(同僚)がいる場合
             :92.5%(40名中37名)

〔低位の結果〕
 ・抵抗したら押さえつけて電撃を流す場合:17.9%(40人中12名)
 ・実験者が不在の場合  :20.1%(40人中9名)
 ・被験者が電撃レベルを選択できる場合:2.5%(40人中1名)
 ・実験者がただの人の場合:20%(20人中4名)
 ・実験者の一人が続行、一人が中止を指示した場合:0.0%(20人中0名)
 ・被験者以外に2名の同僚(役者)がいて同僚が中止を主張した場合
             :10.0%(40名中4名)

 最も強い電撃まで続ける人は1000に1人ぐらいしかいないだろうという大方の予想を裏切ってそこまでやっちゃった人が実に2/3に達しているという結果に。被害者と離れているほど、責任を感じなくていいほど最高レベルまで上げちゃう傾向と。まあ、押さえつけてでも電撃を与え続けた人ですら20%弱いますが。

 単にサディスティックな人間が集まっただけと考える方もあるかもしれませんが、電撃レベルを選択できる場合だとそこまでいったのはたった一人(まあ、この人はそっち系の人かもしれませんが)。分布で見ると、うめきだしてる75ボルト以下までしか上げなかった人の累計が70%(40名中28名)助けてくれと叫ぶ150ボルトのレベルで同じく95%(40名中28名)。そんなにS系の人が集まっているとは言えなさそう
 逆に”実験者がいない”、”実験者が権威でない”、”実験者の意見が分かれている”あるいは”周囲が反対”の場合は最も強い電撃まで続ける人は減ってしまうようです。

 この結果から

  権威ある人からの指示があり、責任を感じにくい状況であれば人は従順になる
  権威が機能しにくい状況や、廻りの意見に同調できる環境では従順度は下がる

ことが見てとれます。なんだか、本の紹介ってより実験内容の説明ばっかになってすいません。本書はこの実験の内容を踏まえ、このようなことが起るメカニズムなどを詳しく紹介しています。実験が行われたのはもう半世紀以上前、本書の原典の出版ですら1974年と40年以上前ですが、そのショッキングな内容は今でも十分読み応えがあります。翻訳を担当した評論家”山形浩生”による現代的な視点での訳者あとがき”服従実験批判”も出色(というか、かなりえぐいツッコミ?)
 特にいじめやハラスメントの問題に関心のある方は読んどいて損のない本です。

《脚注》
(*1)イエルサレムのアイヒマン(ハンナ・アーレント、みすず書房)
 ナティ政権下でユダヤ人問題の”最終的解決”=ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を行ったアドルフ・アイヒマン親衛隊(SS)中佐の裁判記録の本。サブタイトルは”悪の陳腐さについての報告”。アイヒマンの裁判が行われたのが1961年、本書が出版されたのは1963年のことです。
 一般受けするような本ではないですが、それでも”アイヒマン・ショー”(まだ観てません)という映画が公開された時に本屋の特設コーナーに置いてあったのはちょっと驚きました。
 詳しくはこちらをどうぞ

オリンピックって究極の”街おこし”みたいなもんでしょうか?!(地域再生の失敗学/駒沢オリンピック公園)

 ども、地方出身、首都圏在住のおぢさん、たいちろ~です。
 相変わらず東京オリンピックの競技会場をどこにするかでごたごたもめているようです(2016年10月末現在)。競技をやるほうの委員会とかは”せっかく開催するなら新しくて立派な会場を作って、いっぱいお客さんが入るとこでやりたい”と言ってるし、東京都(というか東京都知事)は”このままだとお金がかかる過ぎるのでコスト削減を図りたい”と言ってるし。まあ、見てると論点が違いすぎて、議論がぜんぜんかみ合ってないな~~って感じです。が、この議論ってどっかで聞いたような?!
 ということで、今回ご紹介するのは話題になっているというか、やらざるを得ないことなのになんだかうまくいく気がしない感のある地方創生を扱った本”地域再生の失敗学”であります。


写真はたいちろ~さんの撮影。駒沢オリンピック公園中央広場にて。
この日は”東京ラーメンショー2016(*1)”をやっておりました。
後ろにあるのは陸上競技場です

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【本】地域再生の失敗学(飯田泰之他、光文社新書)
 少子高齢化が進む右肩下がりの日本において、必要不可欠なはずの地方創生(地域再生)。それがなぜうまくいかなかったのかを分析し、今後どうしていくべきかを対談した本。耳がいたそうな話がいっぱいですが、避けては通れんのだろうなぁ・・・
【旅行】駒沢オリンピック公園
 東京都世田谷区および目黒区にある、サッカー場、野球場、体育館などを含む運動公園。その名の通り1964年の東京オリンピック大会の第二会場としてレスリング、バレーボール、サッカー、ホッケーなどで使用され、現在でもさまざまな大会で使用されています(公式hpはこちら)。2009年からは”東京ラーメンショー”の会場にも使われています。


 考えてみると、オリンピックって究極の”街おこし”みたいなもんでしょうか。スポーツ選手(とその団体)から見れば、”スポーツ振興”だし、地元や旅行会社・交通機関から見れば全世界からお客さんが来て”お金を落とし”てってくれるし、会場を作るとなると建築会社や土木会社が儲かるし(*2)。いいことだらけのようなんですが、問題はイベントベースな発想に偏ると、継続的なコスト意識が甘くなんじゃないかな~~って点。某都知事が”コストがかかり過ぎ”な点をさかんに問題視してますが、いったん作っちまった設備を少なくとも数十年は維持しないといけない立場とすれば、言いたくもなるよな~~って気持ちはわかります。まあ、ちゃんと考えてくれてればですけど・・・(*3)

 で、もうちっとコンパクトな地域再生を扱った本書ですが、かなり辛口の話題が。気になったのをいくつか

〔損得勘定ができてない?!〕
 以前、”横手の焼きそば(*4)”を食べに横手市に行ったことがあるンで(美味しゅうございました)ツッコミしにくいんですが、本書ではB級グルメ大会にもダメ出し。なぜなら昔みたくこじんまりやってる時は良かったけど、現在のようにイベント自体が巨大化しちゃうと、売上(1店舗 5~600円の単価で数百食)では、もう儲かる構造にはなっていないんだとか。このイベントで観光客を地元までひっぱってきてお金を落とさせるとこまで持っていかないと、地域PRの持ち出しだけに終わっちゃう。
 本書ではこういった”イベント型”とか”ゆるキャラ”には否定的。道の駅の運営なんかもそうです。本書の著者木下氏と明治大学の飯田準教授の対談

  木下:儲かるように設計もせずに、ひたすら派手なことをやるのは、
     活性化策ではなく飯田さんの言う通り単なる”消費”です。趣味の世界。
     それは結局のところ、その地域の衰退を助長する策になってしまうわけです

      (中略)
  飯田:結局のところ、入ってくるお金と出ていくお金を
     プロジェクト全体で評価するという、民間なら当然の視点がないわけです

別にイベントをやるなと言っとるワケではないんですが、やるならやるでちゃんと損得勘定を考えろと。肝に銘じるべきなんでしょうね

〔地方(議員)には増税のインセンティブがない〕
 行政てのは税金で運用されています。税金の総額を増やすには地域の収入総額を増やすか税率を上げないといけない。はずなんですが、どうもそうはなっていないみたい。たらなきゃ地方交付税交付金をもってくればいいから。本書を読んで一番えぇ!っと思ったのがこの点でしょうか。税率を上げるのって嫌われる政策なので議員はやりたくない。地域収入を増やすために税金を使った施策=投資をするんでしょうが、地方交付税交付金=自分とこのお金と思わにゃ甘くもなりそうなもの。知らなかったんですが、上記の街おこしイベントなんかも100%国の補助金なんてのもあるそうで、企画自体も代理店まかせとか。なんだか丸投げ体質のような・・・

〔次善の策としての自主再建型移転〕
 いきなりですが、アーサー・C・クラークのSFに”都市と星(*5)”ってのがあります。広大な宇宙の版図を維持できなくなった人類が”ダイアスパー”という都市を作ってそこに集まって住むという舞台設定です。なにかというと、これって究極のコンパクトシティなんですな。つまり、分散・拡散された地域を維持できないなら集中させるとこで生き残りをはかろうと。まあ、あたりまえですが、人の少ない所に公共交通機関を残すとか、買い物場所等を置いとこうとかするとコスト的に見合わないところがどうしても出てきちゃうと。であれば、にっちもさっちもいかなくなる前に、地域ブロックごと中心部に計画的に移住させてコミュニティを維持させようというのが”自主再建型移転”です。
 本書でも”嫌われる次善策”として”そんな弱腰でどうするんだ”的な精神論で嫌われる案との指摘がありますが、代替案なしにただ頑張るだけよりは選択肢があるほうがまだマシだろうと。
 あと、これをやるには外からの押し付けではなく住民をまとめるリーダーシップが必要だろうと。以前書きましたが、”七人の侍(*6)”の例で志村喬演じる”島田勘兵衛”が村を守るために橋向うの家を見捨てる判断をして、従わない人には刀を振りかざして言うことを聞かせるというシーンがあります。現代でここまではできないでしょが、プロジェクトを完遂するにはこれぐらいの気合が必要なんでしょうかね。

 まあ、地域再生=経済活性化という訳ではないんでお金の話ばっかししててもしょうがないし、必要なお金は投資すべきなんでしょうけど、お金がなきゃ遅かれ早かれ行き詰るのも確か。本書の結論の中で必要なものの一つとして”リーダーシップを執れる人がいるかどうか”というのを上げていますが、”島田勘兵衛”みたいなリーダーと、安易なポピュリズムに陥らず、住民が協力でしてコトにあたんないと課題の解決にゃなんないんでしょうね。あんまり時間もないことだし・・・

《脚注》
(*1)東京ラーメンショー
 毎年秋に開催されるラーメンイベント。全国のご当地ラーメンを一堂に集めて食することができるというラーメン好きにはたまらんお祭りです。主催者側としては街おこしの狙いもあるようですが。2016年度は10月27日~11月6日まで、前後半のお店入替で36種類が食べられます。
(*2)会場を作るとなると建築会社や土木会社が儲かるし
 1964年の東京オリンピックにより社会インフラの整備やテレビなどの普及による”オリンピック景気”という好景気状態になったのは確か。その後に反動で”証券不況(昭和40年不況)”があったのってあんまし話題になってないけど。今はなき山一證券の破綻危機に対して時の大蔵大臣田中角栄が日銀特融で救済したころです(1965年)
(*3)いったん作っちまった設備を少なくとも数十年は維持~
 作っちまったはいいけど、嵐か福山雅治の全国ツアーでもやんない限り満員御礼にならない施設ってけっこうありそうですなぁ、例えば(以下自主規制)
(*4)横手の焼きそば
 秋田県横手市周辺で販売されている焼きそば。片面焼きの目玉焼き、福神漬けのトッピングが特徴。”B-1グランプリ(B級グルメ大会)”で優勝1回、準優勝1回だそうです。
(*5)都市と星(アーサー・C・クラーク 早川書房)
 遙か未来、銀河帝国の崩壊によって地球に帰還することを余儀なくされた人類は、誕生・死さえも完全管理する驚異の都市ダイアスパーを建造、安住の地と定めた。住民は都市の外に出ることを極度に恐れていたが、ただひとりアルヴィンだけは、未知の世界への憧れを抱きつづけていた(amazon.comより)。詳しくはこちらをどうぞ
(*6)七人の侍(監督 黒澤明、主演 志村喬、三船敏郎、東宝)
 戦国時代、盗賊と化した野武士に襲われた村はある決断をする。”侍を雇って野武士を退治する”と。そして初老の浪人”島田勘兵衛(志村喬)”、山犬のような男”菊千代(三船敏郎)”ら七人の侍が村を守りるために集まった・・・
 詳しくはこちらをどうぞ

今度こそうまくやらないと子どもたちに稲穂どころか借金背負わせることになりかねませんぜ・・(捨てられる銀行/堂島米市場跡記念碑)

 ども、マニュアルすらまともに守れないダメなおぢさん、たいちろ~です。
 ”マニュアル人間”というと、”マニュアルに書かれたことしかできない人間”ということで、どっちかつ~とネガティブな印象で言われます。ましてや”昨日と同じことやってちゃダメだ”とか”旧弊に囚われないイノベーティブな発想で!”とか言われる昨今、マニュアルそのものにダメ出ししそうな勢いですが、冷静に考えてみるとマニュアルを順守するのって実は大切なことです。じゃあ何がダメかというと、マニュアルを作る時にあった理念とかを変質させちゃってるとか、背景の情勢の変化に合わなくなってるのにほたったままにしとくとか。何の話をしているかというと、銀行の話をしております。
 ということで、今回ご紹介するのはちょっとしみじみ読んじゃった銀行の本”捨てられる銀行”であります。


写真はたいちろ~さん撮影。大阪堂島にある”堂島米市場跡記念碑”です。

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【本】捨てられる銀行(橋本卓典、講談社現代新書)
 バブル景気が弾けてはや四半世紀。銀行は、大蔵省は、金融庁は何を間違えたのか? 今後の日本経済をどう運営すべきか? 新しく金融庁長官となった”森信親”の行動を中心に銀行はこれからどうしていくか、何をしなければ”捨てられる銀行”になってしまうかをまとめた本。
【旅行】堂島米市場跡記念碑
 現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、世界初の整備された先物取引市場であった堂島米市場(wikipediaより)の跡地に建つ像。ある意味では後のバブル期の狂乱経済の原点とも言えます。
 記念碑のモチーフは”稲穂を手にした子どもたち”。先物って言ったって、本来は経済の役に立つための取引だったはずなんですけどねぇ・・


 ”しみじみ”と書いたのは、実は昔本書で諸悪の根源扱いされてる”金融検査マニュアル”に対応した”自己査定支援システム”を企画したり、”リレーションシップバンキング”のセミナー開催してたりしてたんですね。かれこれ15年近く前の話なんで、解説を入れながらおぢさんの思い出話を・・・

〔時代背景をちょっと・・〕
 考えてみると、バブル景気で日経平均株価が最高の38,915円87銭を付けたのが1989年12月29日。今年度入社の新人なんて生まれる前の話なんですね。若い人向けにちょっと当時の時代背景を簡単に
 1985年9月のプラザ合意(*1)を契機に急速な円高が進行し、円高不況と言われる景気低迷局面を経て内需拡大策に転換してまれに見る金余りの状態が発生。実需を離れた土地や株価の高騰が発生した、いわゆるバブル景気です。で、これが上記の89年末の株価ピークを境に急速に低下局面へ。いわゆるバブル崩壊、半沢直樹が入社したころの話(*2)です。
 この時期に何があったかというと盤石なはずだった金融機関が不良債権拡大の果てに次々破綻金融機関の貸し渋り(銀行から融資を受けられない)、貸しはがし(融資を打ち切り早期に回収)などで一般企業活動に多不なるマイナスが発生、雇用の縮小から新卒者の就職が縮小したり、リストラなんかが蔓延など、日本経済が大きく落ち込んだ”失われた20年”の時代です。

 てなことを踏まえて、下記を読んでください(相当私見ですのでご容赦のほどを)

〔金融検査マニュアルは間違いだったのか?〕
 1999年に登場した”金融検査マニュアル”。文字通り”金融機関”を”検査”する”マニュアル”です。で、何を検査してたかというと金融機関の”健全性”を検査してたんですな。この当時というと、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券、三洋証券など大手金融機関が破綻、それ以外の金融機関も軒並み破綻の瀬戸際に追い込まれていた状態。不良債権を処理して銀行を健全な状態に戻して企業融資なんかを通して経済をまともな状態に戻すというのが最優先課題な時代でした。
 この検査のための融資の状況を”銀行自身=自己”で査定することになり(*3)、それを支援するためのシステムが私のやってた”自己査定支援システム”。まあ、仕掛け自体はそんなに複雑なもんじゃなくて、融資をしている企業を

 定量的分析:決算書などの数字をベースに行うもの
       安全性(自己資本比率、流動比率等)、収益性(売上高営業利益率等)
       成長性(経常利益増加率等)、返済能力(債務償還年数、含み益等)
 定性的分析:決算書などの数字に出ない項目をベースに行うもの
       営業力、技術力、経営者の資質、市場動向、競争力、従業員のモラル

などの指標を使って総合的に判断して”正常先、要注意先・要管理先、破綻懸念先、実質破綻先、破綻先
”に仕分けるというもの(銀行内部ではもっと細かく分けてましたが)。銀行はこの分類を元に、企業のランクアップに努めるとともに、必要な引当金を積むことになります。まあ、言ってることは正しいと思います。

 説明が長くなりましたが、そういうカラクリを一斉に(しかも継続的に)やったわけで、まあシステムのサポートがないとしんどいと。で、実際やってみたら当初の思惑と違ってうまくいかなかったらしいです。実務をやったわけではないんでこっから先は本書の内容と想像ですが、おそらく定量的分析に寄っちゃったんじゃないかな。定量的分析って決算報告書があれば力技で入力すればなんとかなる内容ですが、定性的分析ってちゃんと分析しないと(へたすりゃ作文)書けないわけで。しかも”なんでこうなった?”と聞かれたら説明できないといけないし・・・
 これを人事評価なんかに置き換えてみたらわかりやすいでしょうか。もしあなたに部下がいて評価しろと言われたら、売上高や粗利益額なんてすぐ出てきますが、結果は出ていないけどプロセスは進んでますとか、顧客との良好な関係が出てきていますみたいな項目と並べて順位をつけるって結構難しいことがわかります。

 で、どうなったかというと、マニュアルによる判断に丸投げ、本来銀行の中枢ノウハウだった融資審査機能が著しく低下したと。定性的分析による企業の成長性てな内容より、担保があるとか、やばそうなら融資をしない、引き揚げるという方向に突っ走ったんじゃないかと。まあ、銀行自体お尻に火が付いている状態で銀行経営自体の健全化が最優先で上から落ちてきている状態なんで、気持ちはわからんでもないですが・・・

〔リレーションシップバンキングはなぜうまくいかなかったのか?〕
 当時は銀行の業務を、預金や為替なんかの業務を大量にさばく”トランザクションバンキング(トラバン)”とお客様との関係構築をベースに企業の成長を促す”リレーションバンキング(リレバン)”に分けて語られていて、リレバンに力をいれるべきという論調でした。本書に登場する方に講演をなんどもやっていただきましたし。
 本書の結論ではこれは”うまくいかなかった”と。まあ、原因は本書にいくつか出ていますが、一言でいうと銀行員とお客様の距離感がよけいに空いちゃったんじゃないかと。リレバンがうまくいくためにはお客との関係を強化するとともにその企業なり業態への”目利き”が必要なんですが、銀行の方からはこの当時ですら目利きのできる人が減ってるとぼやいてました。それが信用保証協会の保証がつき~の、短期融資の運転資金を長期に切替え~ので、だんだんお客様の所に行かなくても済むようになった(おそらく行けなくなった)みたいな話が本書に出てきます。で、企業の現場と銀行の現場が離れちゃって目利きどころかリレションすら大変になっているような気がします。

 どうも、マニュアルを作成した時にあった”日本の経済レベルを正常化し成長路線に乗せる”といった理念と、それを貰った銀行側の”自分とこの銀行経営をまずは立て直す”という経営目標が完全にアンマッチになってた、さらに経済状況が変わっても見直さなかったみたいなのが本書を読んだ感想です。

 ここまで書いてちょっと心配なのが近頃流行りの”地方創生”。地域活性化なくして日本経済は立ちいかないみたいなノリですが、そこでの地方銀行の役割って良くわかんないんですなぁ。本書の成功事例を見てるとやること(できること)いっぱいありそうなんですが、イマイチ見えてこない感じ。また、活性化に必要な個別企業の成長に向けた施策としての”事業性評価”や”コンサルティング機能”ってのも、実は上記の金融検査マニュアルやリレバンに織り込まれてはいたんですね。
 別に前回うまくいかなかったから今回もダメだろうなんて言う気は毛頭ないですが、前回のバブル崩壊の時はすれでもまだ社会のファンダメンタルズ自体はまだ成長の余地があったのに対し、現在は少子高齢化や世界的な景気低迷(社会混乱懸念)、国家財務の急激な悪化など、あんまし成長余力がない中でやんないといけない話じゃないかと。中長期的な観点では状況は前回の時よりテンパってんじゃないかなと思っちゃいます。

 堂島米市場跡記念碑がなぜ”稲穂を手にした子どもたち”かは知りませんが、このままだと子どもたちに稲穂(資産)どころか、山のような借金背負わせる形になりかねないんで・・・

《脚注》
(*1)プラザ合意(Plaza Accord)
 1985年9月に先進5ケ国の 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。”プラザ”は会場になったニューヨークの”プラザホテル”から。このホテル、一時はあのドナルド・トランプが購入(のち売却)、インドの大富豪だのサウジアラビアの王族だのが株主だそうですが、いろいろごたついているみたい。歴史を感じますねぇ・・・
(*2)半沢直樹が入社したころの話
 2013年に大ヒットしたTVドラマ”半沢直樹”ですが池井戸潤の原作名は”オレたちバブル入行組”、”オレたち花のバブル組”(ともに文藝春秋)。1992年入行という設定なので正確にはバブル後退局面の時期になります、はい
(*3)”銀行自身=自己”で査定することになり
 それまで銀行は自分で査定してなかったかというとそうでもないんですが、護送船団方式とかなんとかで規制の厳しい業種だったこともあり、大蔵省の検査日本銀行の考査だでお上の指導に合わせて査定って感覚が強かったんですな、きっと。

現代におけるコンピュータゲームの歴史、あるいは”時間とCPU能力の無駄遣いの叙事詩”かな?(現代ゲーム全史/ファミコン)

 ども、こう見えてゲームはほとんどやんないおぢさん、たいちろ~です。
 別に信念があってやんないわけではないですが、ゲームをやってると本を読む時間がなくなるとか、ゲームを買うお金がないとか、運動神経と動体視力が残念な人なのでやっってもすぐ終わっちゃうとかそんな理由ですかね。
 そうは言ってもまったく知らないってこともなく、学生時代や新入社員のころがスペースインベーダーやファミコンブームの時代(*1)、最近だってあんだけガンガンにCMが出てくりゃ、まあ”いっぱいあるな~~”ぐらいはわかります。
 ということで、今回ご紹介するのはそんなコンピューターゲームの壮大な歴史をつづった”現代ゲーム全史”であります。


写真はたいちろ~さん撮影。
某温泉にあったファミコンボックスと光線銃。
写真撮ったのが2011年ですから、5年前時点でも現役で動いとったんですね~~

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【本】現代ゲーム全史(中川大地、早川書房)
 チャールズ・バベッジ(*2)から、ファミコン、ポケモン、プレイステーションを経てスマホのゲームマシン化からポケモンGOにいたるコンピューターゲームの歴史を技術史的側面と社会的側面、さらには日米の比較文化論までを加えて俯瞰した本。サブタイトルは”文明の遊戯史観から”
 たかがゲームと思うなかれ。相当はしょって書かれていますがそれでも570ページのボリュームですぜ!
【道具】ファミコン
 任天堂が開発した家庭用ゲーム機。累計販売台数は6,191万台とプレステ2などの後塵を拝してますが、これは当時ゲームマーケットが日本や北米以外になかったからではないかと(ゲーム業界.COMより
 写真のファミコンボックスは1986年にリリースした業務用で主にホテルや旅館に設置されたもの。光線銃はガンシューティングゲームに使うもので、ブラウン管側ではなく、銃口のセンサーが命中判断を行うというモノ。オリジナルの発案者は任天堂の技術者”横井軍平(*3)”

 さて、本書の内容を歴史的に私見も含めてバクっとまとめるとこんな感じ

〔理想の時代〕1912~59年
 コンピュータが世界で初めて開発されたころ。コンピュータの理論構築を行ったバベッジやフォン・ノイマンが”ゲーム理論”の研究を行ってたように、研究という場面ですでにゲームが登場してます。ハード的にもほとんど時を同じくして”ゲーム”を開発しているところを見るとゲームって”コンピューターの誕生と共にあった”んですねぇ。

〔夢の時代〕1960年~74年

 コンピュータの開発目的の一つが”宇宙開発”だった時代。MIT(マサチューセッツ工科大学)に寄贈されたDECのPDP-1(*5)(おおっ!!)。これに原初コンピュータマニア、のちのハッカーが飛びついて始めたのがゲームを作って遊ぶことヒッピー文化だのカウンターカルチャーだのありますが、世界最高水準の頭脳がやってんのがゲームですから、まあ良い時代にはなったんでしょうね。

〔虚構の時代〕確立期:~70年代後半、本格期:80年代前半、変貌期:80年代後半
 アーケドゲームの時代からファミコンの爆発的普及を迎えた時代。スペースインベーダーだのブロック崩し、ギャラクシアンだののレトロなソフトから、現在も続くスーパーマリオ、ドラゴンクエスト、ファイナルファンダジーなどのビックタイトルが生まれた時代でもあります。

〔仮想現実の時代〕確立期:90年代前半、本格期:90年代後半、変貌期:2000年代前半
 ハード的にはプレステ~プレステ2の時代。スーパーファミコン~NINTENDO64~Wiiセガサターン~ドリームキャストも加えて戦国時代、ある意味日本のゲームが一番輝いていた時代から終焉期まで。
 印象深いのはやっぱりプレステ2(2000年)でしょうか。プレステ2用に開発された”Emotion Engine”ってのがとにかくバカっ速いCPU128ビットRISCマイクロプロセッサなんつー当時のPCをはるかにしのぐスペックでしたね~~。さらには”Graphics Synthesizer”なんていうグラフィック専用CPUまで搭載していて”たがだかゲームになんでこんなCPUがいるねん?!”と思ったもんです。このあたりはハード性能で勝負をかけるソニーと、”枯れた技術の水平思考”でゲームそのものの面白さを追求するニンテンドーの違いがはっきり出てましたねぇ。
 ソフト的にはアーケードゲームで一世を風靡した”ストリートファイターⅡ(1991年)”や”バーチャファイター(1993年)”なんか。特にアーケード版の”バーチャファイター”の3D画像って、今の水準からするとポリゴン見え見えですが、当時としては結構感動モノでした。
 あと、パソコンゲームの”ときめきメモリアル(1994年)”に代表される美少女恋愛シミュレーションゲームの登場もこの時代。いわゆる”萌えゲー”の登場です。それ以前にも”脱衣麻雀(*6)”ていう、スケベ心全開のゲームなんかがありましたが、これをソフティフィケイト(つまりスケベを隠して)恋愛にしちゃったってのが秀逸、プレイしたことないけど。

〔拡張現実の時代〕確立期:2000年代後半、本格期:10年代前半
 この前の時代がVR(仮想現実 バーチャル・リアリティ)なら、ここからはAR(拡張現実 オーギュメンテッド・リアリティ)の時代。SNSに代表されるネットワークとデバイスとしてのスマートフォンをプラットフォームにした時代です。
 代表的というか行くとこまで行っちゃったのが”ポケモンGO”でしょうか。スマホの画面に現実の風景に重なってポケモンが出てくるわ、GPS情報で出てくるポケモンが変わるわ、あまつさえ”どこそこでレアポケモンが出た”つ~内容がSNSで拡散して警察が出動するほど人が集まるわ。現実社会にゲームの世界を融合させてくってのは確かに”拡張現実”なんでしょうねぇ。
 ちなみにこの次に来るのは、ゲームの世界に現実社会を重ねていくMR(複合現実 ミクスド・リアリティ)じゃないかという話もありました。

 あんましきちんと要約はできてませんが、こんなような時代区分で社会変化と技術発展は進んできたって内容です。で、あらためて感想。ゲーム史って

  時間とCPU能力の無駄遣いの叙事詩

だな~~ いや、悪い意味でなくて。
 ホイジンガの”ホモ・ルーデンス”よろしく、遊戯(遊ぶこと)が人間活動の本質で、文化を生み出す根源だとすると、ゲームに入れ混むのは本質的に正しい行動。でもな~、昔、ドラクエはまってた人って、会社休んでゲームを買うのに並んで、徹夜ではまりこんでたもんな~~ あの情熱には頭が下がりますが、やれといわれてもちょっとついてけないノリでしたねぇ
 技術史的にいうとCPUを含めたコンピューターの能力って、”何かをしたいから高性能が必要”ってのと”高性能のコンピューターを作ったけど何に使おう?”ってのと両方ありそう。前者の代表がCG性能を格段に向上させたプレステ2で、後者がスマホでしょうか。なんたって、今のスマホって一昔前のスーパーコンピューター並みの性能なんですぜ! そんだけ凄い性能を使ってやってんのがスマゲーですから、技術で売ってる会社の人から見ると”なんとCPUの無駄遣い!”とか思っちゃいます。

 本書は、戦後高度経済成長期の終焉からこっち、一大マーケットを形成した”ゲーム”という産業を振り返るのには良い本かと。ちょっと堅い目の内容も含んでますが、ゲームを休んで読んでみるのもいいかも。
 あと、ゲームの画像なんかも載ってると良かったんですけどねぇ 記憶の薄れているおぢさんとしては・・


《脚注》
(*1)スペースインベーダーやファミコンブームの時代
 スペースインベーターの登場が1978年、ファミコンの発売が1983年。記憶の感覚と若干ずれているのは、周りの人ややり始めたり、ブームになったりした時期までに若干タイムラグがあるから。決してボケてきてる訳ではないはずです。
(*2)チャールズ・バベッジ
 世界で初めて”プログラム可能な計算機”を考案、初期の機械式計算機”階差機関”を発明したイギリスの数学者。本書では”コンピューターの父”であるとともに”ゲームの理論的研究の父”とも記されています。
(*3)横井軍平
 ”ゲームウオッチ”、”ゲームボーイ”を始め”ラブテスター”や”光線銃シリーズ”などおぢさん世代には懐かしい数々のゲームを開発した人。”枯れた技術の水平思考”という”既存の技術を既存の商品とは異なる使い方をしてまったく新しい商品を生み出す”ことで新しい製品を開発しました。詳しく”ゲームの父・横井軍平伝”をどうぞ
(*4)フォン・ノイマン
 コンピューターの基礎理論及び開発に多大な影響を与え”ゲーム理論”という意思決定問題を数学的モデルで研究する学問にも貢献したたアメリカの数学者。
 実は、私の卒業論文のテーマが”金融機関におけるゲーム理論の応用について”みたいな話だったりして・・・
(*5)DECのPDP-1
 アメリカのコンピュータ企業(コンパックに買収され、今はヒューレット・パッカード)。1970~80年代で”PDP”や”VAX”といったシリーズは憧れと共に語られたモンです。私も入社面接受けに行きましたが・・・
(*6)脱衣麻雀
 文字通り勝ったら相手が一枚ずつ服を脱いでく(脱衣)”野球拳”みたいなゲーム。今考えるととんでもなく荒い(表示能力が低かった)CGですが、けっこう喜んで遊んでた人いましたね~~ 私は麻雀できないんでいつも横で見てましたけど。

ランプ売りのおじいさんは、意外に優秀なイノベーターだったようです(ビックバン・イノベーション/おぢいさんのランプ/ランプ)

 ども、イノベーティブな人生とは縁のないおぢさん、たいちろ~です。
 近頃会社で流行るモノの一つに”イノベーション”ってのがあります。まあ、旧態然としたビジネスをやってると先細りになるのが目に見えているので、”なんか新しいことやろうぜ!”みたいな話ですが、そんなに簡単に新しいことを思いつきゃ苦労はしないですし、それを”儲かるビジネス”にしようとするとひと山ふた山ではきかない困難が予想されます。そうは言ってもやらん訳にゃいかんのですが・・・
 ”イノベーション”ってさも新しそうな顔をしてますが、意外にも童話の中にこんな話を見つけました
 ということで、今回ご紹介するのは”ビックバン・イノベーション”をテキスト解説する新美南吉の童話”おぢいさんのランプ”であります


写真はたいちろ~さんの撮影。小樽の北一ガラスにあったランプです

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【本】ビッグバン・イノベーション(ラリー・ダウンズ、ポール・F・ヌーネス、ダイヤモンド社)
 マーケットの変化は従来の釣鐘型曲線(ベル・カーブ)ではなく、一夜にて爆発的な成長をとげ、突然死を迎える、鮫のひれ(シャークフィン)のように。
 イノベーションによるマーケット変化の分析と対処のルールをまとめた本。
 原書は2014年、日本では2016年に発刊。
【本】おぢいさんのランプ(新美南吉、青空文庫他)
 東一少年が遊んでいる時に、蔵の中で一つのランプを見つける。東一君のおじいさんはそのランプを見て、自分が若かったころに”ランプ売り”をしていたころの話を東一少年に語りはじめた・・・
 童話集「おぢいさんのランプ」(1942年)に収載
【道具】ランプ
 電気・油脂・ガスによる光源と、笠やホヤなどの保護装置がある照明器具。ランプの中で手に提げるか持って運べるものが”ランタン”です(wikipediaより抜粋)
 現在でのキャンプ用品やアンティークな装飾品として使われることもあります。


 従来のマーケティングの話ですと、エベット・ロジャーズが提唱した釣鐘型をした5つの市場セグメントってのがでてきます。”革新者”、”初期導入者”、初期多数導入者”、”後期多数導入者”、”導入遅延者”というので、初期多数導入者から後期多数導入者への切り替わり時期をピークに、ゆるかやな釣鐘型のカーブを描くというもの。ところが、イノベーションが進展するとこんな悠長なことにならなくて、先行した人達による”特異点”、急速に立ち上がる”ビックバン”、あっというまに衰退する”ビッククランチ”、生き残った人達による”エントロピー”というサイクルが極めて短いスパンで発生し、鮫のひれのような形を描くというのが本書の主張。で、これを乗り切るためにそれぞれのマーケットに対しての12のルールが提示されています。

 で、このルールというのが、実に”おぢいさんのランプ”に登場する巳之助じいさんの行動に当てはまるんですなぁ。”おぢいさんのランプ”は小学校(だったかな?)の教材で出てきたんで読まれた方も多いと思います。おじいさんがランプの商売に見切りをつけて、池のほとりで灯をつけたランプを壊していくシーンが幻想的で印象に残る作品です。改めて読み返してみましたが、実にこれがイノベーターなんですな。あらすじを追いながら説明してみます。※〔 〕内は”ビッグバン・イノベーション”で提示されたルール

〔ルール3:一見ランダムな市場実験に着手する〕
 岩滑新田という灯りといえば行燈しかないような村で育った孤児だった巳之助は、町で見かけたはランプの明るさに心を奪われどうしても欲しいと思いました。持っているお金では足りないため、ランプ屋の主人と交渉して、ランプを村で売るからということで安く売ってもらいました。
 保守的な百姓相手に、始めは流行らなかった商売ですが、商い屋のおばあさんにただで貸し出すことで便利さを理解してもらい、それを見た村人にランプが売れ始めました

  →→→
 まず、灯りのない村にランプというテクノロジーを持ち込むことで利便性の拡大と新たなマーケットを生み出すという先見性はイノベーターの元祖とでもいいましょうか(*1)。ランダムとまでは言いませんが、”特異点”において起爆剤となる先行者を実験的に捕まえてマーケットを拡大するとこはこのルールっぽいです。

〔ルール6:「ブレッドタイム」を作る〕
 順調にランプを売っていた巳之助ですが、ある時電燈を見かけます。電燈の明るさに自分のビジネスの危機を感じる巳之助。そしてとうとう岩滑新田にも電気がひかれ電燈が導入されることになりました。そこで巳之助は”電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に狐や狸がつたって来て、この近ぺんの田畠を荒らすことはうけあいだね”と、電燈への反対意見をまくしたてました

  →→→
 ”ブレッドタイム”というのは時間稼ぎという意味。映画”マトリックス(*2)”に登場したネオが”銃弾(ブレッド)”の速度を遅くして時間稼ぎをして銃弾をさけることからきています。ここでは、反対意見をまくしたてマーケットの拡大を阻止しようという点で、先行するイノベーターが守りにはいる行動と同じです。ただし、時間稼ぎはあくまで時間稼ぎ。根本的な解決にはなりません

〔ルール8:負債化する前に資産を処分する〕
 電気を引こうとする村長を怨んで、牛小屋に火をつけようとする巳之助。マッチを忘れて火打石で火をつけようとするが失敗。”こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア”という自分の言葉に自分の過ちを悟った巳之助
 家に戻った巳之助は、家中にあるランプの全てを、池のほとりにもっていき、火を灯して石ころを投げつけて壊していきます

  →→→
 ”おぢいさんのランプ”の中でも最も印象的なシーンです。
”ビッグバン・イノベーション”風に言うと”ランプ=コア資産”が急速に価値を失うことを察知したおぢいさんは、負債化する前に処分したということになります。まあ、本来なら売却とかするんでしょうが、思い切りのいいおぢいさんは”わしの、しょうばいのやめ方はこれだ”といって壊してしまいますが。

〔ルール9:リードしている間に撤退する〕
 おぢいさんが壊しそこなって残ったランプは誰かが持っていったそうです。
 こうして、おぢいさんは”ランプ屋”を廃業しました。それから町に出て”本屋”という新しい商売を始めました。

  →→→
 ”損しちゃったね。四十七も誰かに持ってかれちゃって”という東一君に答えて、おぢいさんの話

  今から考えると、何もあんなことをせんでもよかったとわしも思う
  岩滑新田に電燈がひけてからでも、
  まだ五十ぐらいのランプはけっこう売れたんだからな
  岩滑新田の南にある深谷なんという小さい村じゃ、まだ今でもランプを使っているし
  ほかにも、ずいぶんおそくまでランプを使っていた村は、あったのさ
  しかし何しろわしもあの頃は元気がよかったんでな
  思いついたら、深くも考えず、ぱっぱっとやってしまったんだ

   (中略)
  わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、
  自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ
  わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、
  自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ
  いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり
  自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり
  世の中のすすんだことをうらんだり、
  そんな意気地のねえことは決してしないということだ

実にすがすがしいまでの、イノベーターとしての身の処し方って感じしませんか?

 ”おぢいさんのランプ”は青空文庫他でも読むことができます(こちらからどうぞ)。ぜひ童心に帰ってご一読の程を(といいながら、私自身は生臭い読み方してますけど・・・)

《脚注》
(*1)イノベーターの元祖とでもいいましょうか
 ここでのイノベーターはすこし広義にとらえて”市場開拓者”、”ベンチャー起業家”ぐらいのノリで見てください
(*2)マトリックス
 (主演 キアヌ・リーブス、監督 ウォシャウスキー兄弟、ワーナー・ブラザース)
 コンピュータに支配された社会を救世主であるネオ(キアヌ・リーブス)が解放するというSF映画。1999年公開。のけぞって銃弾をよけるシーンは当時けっこうインパクトありましたね~~(映像はこちらから)

”お金かかるから戦争反対”なんつー雑駁なことは言いませんが、それもまた重要な話なんじゃないかな~と思うのであります(永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」/富士総合火力演習)

 ども、”会社の至宝”なんぞ一度も呼ばれたことのないおぢさん、たいちろ~です。
 ここんとこ何冊か太平洋戦争に絡んだ本を読みました。そん中で良かれ悪しかれキーパーソンと呼ばれる人物が出てきます。太平洋戦争の開戦に首相を務めた東條英機(*1)なんかはその代表格。で、その次に出てくるのが”帝国陸軍の異端児”と呼ばれた”石原莞爾”と”陸軍の至宝”と言われた”永田鉄山”
 石原莞爾という人は満州事変を成功させた天才的な軍略家、”王道楽土”、”五族協和”を掲げた理想主義者というイメージ。比較的わかりやすせいかコミックなんかでもキーパーソンなキャラで出てきます(*2)。
 ところが”永田鉄山”という人は実は何をした人かよくわかんなかったんですね。暗殺された人で、”永田がいれば大東亜戦争は起きなかった”と言われるほどの人なんですが、よくわかんない。ということで読んでみました。
 ということで、今回ご紹介するのは永田鉄山のことをまとめた伝記”永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」”であります。


写真はたいちろ~さんの撮影。富士総合火力演習での10式戦車であります。
(上は4重走行、下は大砲をぶっ放す瞬間)

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【本】永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」(早坂隆、文春文庫)
 陸軍内部の統制派として、陸軍改革を指揮し関東軍による戦線拡大を防止に尽力したが、陸軍省内で相沢三郎中佐に惨殺された軍務局長”永田鉄山”。鉄山を中心にこの時代を描いた伝記。
【旅行】富士総合火力演習2016
 静岡県御殿場市の東富士演習場で行われる陸上自衛隊の演習のひとつ。2016年度は8月28日に稲田防衛大臣を招いて開催。参加人員約2,400名、戦車・装甲車約80両、航空機約20機、各種火砲約60門、その他車両約700両が参加(パンフレットより)。ちなみに、今年度のキャッチフレーズは「日本の本気。」(なぜか。付き)です


 話はいきなり飛びますが、先日陸上自衛隊の”富士総合火力演習”というのに行ってきました。前日に高校時代からの友人から”チケットが1枚余ったけど、行くか?”という連絡がありまして。こんなプラチナチケットをムダにする手はないと即時OK!(*3)
 演習の前半の課題は主要装備による攻撃、後半は島嶼部に対する攻撃への対応。おおっ、最新鋭の10式戦車の4重走行だ!、90式戦車もいるぞ! ヘリコプターの編隊飛行だ! 戦闘ヘリ”アパッチ”が機銃掃射をやってるゾ!!
 とまあ、楽しませていただきました。

 なんで、こんな話をしているかというと、戦争と言おうが自衛戦闘と言おうが、戦車が走り回ってドンパチやるっていう状況は恐っそろしく金がかかるんですな。
JNNのニュースページによると、この2時間の演習で弾薬だけで約36トン、3.9億円だとか。大卒男子の生涯賃金がだいたい2.6億円だそうですので(退職金含めず)単純計算だとおぢさんが一生かかって稼ぎだすお金で状況を1時間15分も支えられないと。10式戦車自体のお値段が約9.5億円だそうですので4連走行で合わせて約38億円(これでも航空装備よりはずいぶん安いんですぜ)。まあ、公式数字がでているわけではないのでどこまで正確かはわかりませんがずいぶん高いもんであることは間違いなさそう
 それ以外にも人件費だ燃料代だかかっているはずだし、相当なお金が動いているはず。実際にどっかが攻めてくるとなると、島嶼部にのこのこ上陸される前の作戦行動があり~の、こっちはこっちで輸送コストがあり~のしてステージ以外のコストも膨大。さらい言えば演習ってのは装備、人的リソースの損耗がないので、実際の戦闘で打ち返してこられれば被害が発生するはず。
 で、これらの装備、人材を平時から維持していく必要があるので実際の国防予算ってのはばかにならない金額が必要になるわけです。

 別に”金がかかるから悪い”とか”これは必要なお金だから”とか言うつもりはなくて、要は”ちゃんと金がかかる”という認識をもって物事を考える必要があるということ、さらに、近代戦ではそれが”国家総動員=総力戦”レベルで対応しないと賄えないほどの巨額に膨らむという認識が必要だということです。もっともそれで勝てるとはかぎりませんが・・・

 この近代戦における”総力戦”という概念を日本にもちこんで広げたのが永田鉄山という人(やっと本題に戻ってきました)。第一次大戦時のヨーロッパに駐在していた永田鉄山が研究していたのが、従来”戦争は軍隊だけでやるもの”から産業、財政、教育などを含めた”戦争は国家全体でやる”という価値観の転換。これを準備段階=平時からやると。
 問題は当時の日本が”持たざる国”(平たく言うと貧乏)で、軍事力や経済力、資源力で欧米に圧倒的な差があった。実は永田鉄山にしろ石原莞爾にしろ、この現実認識は同じで、この状況を脱却するために満州国の権益を確保することを重視したのは同じだったそうです。大きな違いは石原莞爾が”武力行使”に訴えても日本を”持てる国”にしようとしたのに対し、永田鉄山は”国家総動員体制の構築”によって日本を漸進的に”持てる国”にしようとした点、つまり方法論レベルの違いなんですね。

 永田鉄山という人は戦争ってモトがとれないって考えていたようで

  一日の戦費があれば、数カ月の平和を維持することができる
  勝利者の利益は、払った犠牲に及ぶべくもない
  国民は戦争による利益を求めてはならない

   (本書より抜粋)

と言ってます。海外派兵による満州国独立の権益を得られた時代ですらこの認識なんで、”専守防衛”で侵略戦争をやらないことになっている現代の日本で、戦争なんかやった日にゃマイナスを防ぐ効果はあっても決してプラスにゃなんないでしょうなぁ・・

 さらに問題をやっかいにしているのは、どうも国民感情として欧米の干渉による海外権益を削減された経緯からか”なんとかしろ”的な空気になり、陸軍内部では”皇軍”だの”精神力”だの危なっかしい派閥が形成されてたりと。ましてや、石原莞爾の”一発当てようぜ!”的な満州での拡大戦略が(良くも悪くも)一時期まで成功してて、永田鉄山を排除しなければ先へ進めないといった風潮になっちゃってと。で永田鉄山は暗殺されることになります。

 当時の世相として、情報公開が十分とは言い難いんでしょうが(まあ、今でもそうかもしれませんが)、なんとなく時代の空気に流されて危ない方向に流れってったみたいのがあんでしょうかね。
 本書で引用されている永井荷風の”断腸亭日乗”(*4)より

  日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり
  政党の腐敗も軍人の暴行もこれを要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり
  個人の覚醒せざるがために起ることなり

政党の腐敗”、”軍人の過激思想”、”国民の自覚なき事”の3つが原因でその根本が国民の自覚がないことと言ってますが、まさにそうなんでしょうね。

 人も住まない孤島をどっちのモンだと角つきあわせ、お隣さんはボンボンミサイル飛ばしてくる昨今、”戦争反対”を叫ぶことにどんだけの抑止力があるのかわかりませんが、まあ自覚的に状況を判断するってことは必要なんでしょうね。戦争だろうが自衛だろうが、備えるだけでもお金かかるし、やっちまったらもっとお金かかるし、しかも回収のメドのない投資なんですから。”お金かかるから反対”なんつー雑駁なことは言いませんが、たとえ下世話な話だと思われても、少なからざる金額を使うんだから一つの重要な話なんじゃないかな~と思うのであります。

 どのみち始めちゃったら、いやがおうにも総力戦にならざるとえないんだし、総力戦になれば、人命もまた”総力”のリソース扱いされんでしょうしねぇ・・・


《脚注》
(*1)太平洋戦争の開戦に首相を務めた東條英機
 極東国際軍事裁判でA級戦犯として責任を追及された話が教科書等に載ってたんで、戦時中ず~っと首相だと思っていたんですが、実際には開戦時が東條英機、小磯國昭を挟んで終戦時は鈴木貫太郎降伏文書の調印や戦後政策をになったのが東久邇宮稔彦王ら。もうちょっと真面目に日本史の勉強しとくんだったな~~
(*2)コミックなんかでもキーパーソンなキャラで出てきます
 ”ジパング”(かわぐちかいじ、講談社)では日本で原爆を作成し歴史を変えようとしたメインキャラの草加拓海少佐とつるんで裏でいろいろやっている人。ビジュアルは生前の桂子雀師匠を彷彿とさせます。
(*3)こんなプラチナチケットを~
 2016年度の応募抽選倍率は、ネットとはがき合計で応募総数約14.8万通で約29倍、ネットだけだと12.2万通で約31倍でした(パンフレットより)。はがきには偽造防止用のシールまで貼ってあったみたいです。
(*4)永井荷風の”断腸亭日乗”
 1917年から死の前日の1959年までの永井荷風の日記。今風でいうとツイッターかフェイスブックのノリみたいです。本書の引用は1936年(昭和11年)2月14日のもの。”断腸亭日乗Wiki”で読めますのでこちらからどうぞ

”日米開戦で、大国アメリカと戦争やってほんとうに勝てると信じていたのか”との疑問へのひとつの回答です(昭和16年夏の敗戦/タンカー)

 ども、勝てないケンカはしない主義のおぢさん、たいちろ~です。
 先日、”横須賀 フレンドシップデー&サマーフェスタ”に行ってきたブログで”彼我の戦力差を観て、アメリカとガチで戦ったら勝てる気しませんな~~”ってな話を書きました(内容はこちらをどうぞ)。まあ、目的や目標をどう設定するかはありますが、戦争ってのは完膚なまでに敵国を叩き潰すとは言わないまでも、外交交渉でイーブン以上の講和条約を結べる程度には勝たなきゃやる意味がないんじゃないかと。となると、やったらどうなるかのと見込み=将来シミュレーションぐらいはやっとく必要があります。で、出た結果をどう評価するかで先行きが大きく変わります。
 現在から過去を振り返ればど~とでも言えるのを承知の上での疑問ですが、先の大戦でなぜ”日本は戦争をするという決断”をしたのか?、勝てるとふんだのか?” 実は、まったく同じ疑問を持って本を書いた人がいたんですな。
 ということで、今回ご紹介するのはそんな疑問に答えた本、作家にして元東京都知事、猪瀬直樹の”昭和16年夏の敗戦”であります。


写真はすべてたいちろ~さんの撮影
川崎市沖で見かけた大型原油タンカー(VLCC)”GASSAN”です

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【本】昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹、中公文庫)
 日米開戦直前の昭和16年(1941年)夏。”総力戦研究所”に集められた軍部、省庁、民間の若きエリートたちは疑似内閣を組閣し戦争を行った場合の帰結についてのシミュレーションを行った。その結果は”日本は必ず負ける”。
 この結果を受けた東条英機陸軍大臣(*1)の結論は、そしてその後の日本の帰趨は・・
【乗り物】タンカー
 液体を輸送する輸送機械(船など)のこと。写真のタンカーはVLCC(Very Large Crude Oil Carrier)といういわれるクラスで20~30万重量トンの積載能力があります。上記の”GASSAN”は積載重量30.8万トン。下に記載している450万トンという数字はこのクラスのタンカーを持ってしても輸送には15往復必要ってこと(攻撃されて撃沈されないという前提で)。逆に備蓄量15万トンというのはこのタンカーの半分しか手元に残んないってことです。


 結果から言うと、”総力戦研究所”が出したシミュレーションの結果は”緒戦は優勢ながら、徐々に国力の差が顕在化、やがてソ連が参戦し、開戦3~4年で日本は敗れる”という、原爆投下以外はほぼその通りになったとのこと(*2)。
 猪瀬直樹が本書を書こうとした理由が”大国アメリカと戦争やってほんとうに勝てると信じていたのか”を知りたかったと書いています。エリート集団とはいえ30代の若手の集まりの集団がここまで見通せていたのになぜ本物の政治中枢が戦争に踏み切ったのかは今から見ればという点をさっぴいても確かに不思議です。
 で、何でかってのを本書からピックアップしてみます

〔根拠のない自信〕
 ”総力戦研究所”の結果に対しての”東条英機”陸軍大臣のコメント

  日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。
  しかし、勝ったのであります。

   (中略)
  戦というものは、計画通りにはいかない。意外裡なことが勝利につながっていく
  したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても
  あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります

まあ、”前に戦った時には勝てないと思ったけど勝てたんだから、今回も勝てんじゃね?!”みたいなノリですが、少なくともトップの人間がこれ言っちゃいかんのではないかと。まあ、これに近いこと言っちゃうトップは今でもいそうですけど・・・

〔根拠がありそでなさそな数字〕
 物事を決めるのに客観的な指標として数字を上げるってのがあります。”総力戦研究所”はそれぞれの省庁から数字を持ち寄って比較検討して出した結論が”日本必敗”
 じゃあ、実際の政治中枢がやっていないかというとちゃんとやってはいるんですな。じゃあなぜ逆の結論になったかというと数字でつじつま合わせを始めちゃうから。本書の中で御前会議で鈴木企画院総裁が石油の需給バランスを説明するというのが出てきます。昭和17年度は備蓄を含む供給はインドネシアからの輸送から30万トンを入れて775万トンあって、需要が520万トン。これが昭和18年度にはインドネシアが占領できるから200万トンに増えるから、残量はプラス15万トン。16年度からはインドネシア分が450万トンに増えるのでV字回復します、みたいな。なんで”戦争遂行能力あり”という結論が出るわけです。
 これに対する陸軍省資源課長の高橋中尉のコメント

  これならなんとか戦争をやれそうだ、
  ということをみなが納得し合うために数字を並べたようなものだった

実際、この数字を決めるのに最初は吹っかけて需要を提出した陸軍はその数字を下げたり、インドネシアからの輸送分を増やせると海軍が言いだしたりとかなりアバウトな調整をやっったようです。
 ”なんでまた”と思われるかもしれませんが、今でも似たようなことやってることありませんか? ”目標必達”とかで。たとえば東芝とか三菱自動車の(以下自主規制)

〔空気読んじゃう〕
 上記の高橋中尉のコメントには続きがあります

  赤字になって、これではとても無理という表をつくる雰囲気ではなかった
  そうするよ、と決めるためには、そうするしかないな、というプロセスがあって、
  じゃこうなのだから納得しなくちゃな、という感じだった

 猪瀬直樹が巻末の勝間和代(経済評論家)との対談で書いてますが、日米開戦を回避するために中国の利権を手放したとすると、”日中開戦以来の十万の英霊に申し訳が立つのか”という反論がでてきちゃう。つまり投資・リターンの評価ができなくなってその場の空気に流されちゃうと。

  投資とリターンという発想では、とても語られなかったのですね
  冷静な議論ではなく、
  そういう「空気」によって物事が決められていくのは恐ろしいことです

   (中略)
  そんな世論の中で、軍部の意向に逆らってまで
  損得勘定で戦争を語れる雰囲気ではなかった
  総力戦研究所の模擬内閣が「日本は負ける」という結論を引き出せたのは
  そういう「空気」の縛りがなかったからとも言えます

 一時期”KY(空気読めない)”って流行語になりましたが、意外に空気が読めないてか、空気を読んでも反論すべきは反論するってのが必要なんでしょうね、まあ、嫌われるんでしょうけど

 実際は制度的な欠陥(政治と統帥権の権力二重構造)だの、陸軍と海軍の対立(中国での戦線は陸軍、アメリカと戦うのは海軍)だの、一筋縄ではいかないんでしょうが、実際には”総力戦研究所”の結論が顧みられることなく、日米開戦に突入し無条件降伏に至ることになります。
 まあ、戦争なんてのは”勝てそうだからやる”とか”負けそうだからやらない”なんてシロモノではないですし、それ以前にやらないために最大限の努力を払うモンだと考えてます。ただ”反対”だけ言ってても回避できる訳でもない以上、やっちまったら(あるいはやらなかったら)どうなるかということに対する”冷徹なまでの状況判断”ができることが不可欠ではないかと、終戦の日を前に思うのであります。


《脚注》
(*1)東条英機陸軍大臣
 後に内閣総理大臣となる東条英機はこの時点では陸軍大臣(総理就任はこの直後の41年10月)。イケイケの主戦派だと思っていましたが、本書によると総理就任で一転、戦争回避の立場に立たされるなど、単なる独裁政権というわけでもなかったようです。
(*2)原爆投下以外はほぼそのとうりになったとのこと
 wikipediaによると、ウラン爆弾の実現可能性を評価するMAUD委員会によりウラン爆弾の実現可能性が示されたのが1941年10月、原子爆弾開発にあたった”マンハッタン計画”が承認されたのは1942年10月。さすがにこれを予測しろというのは無茶ぶりです。逆にいうとこれ以外を予測しえたというのはパーフェクトに近いんじゃないかと

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