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2016年1月24日 - 2016年1月30日

東日本大震災の対応を安物の”ポピュリズム”にしないためにも読んどいた方がよさそうです(震災復興の政治経済学/ガーベラ)

 ども、家族が2つの大震災を経験しているおぢさん、たいちろ~です。
 冗談抜きで、義理の両親と兄の家族が阪神淡路大震災を、奥様と長男が東日本大震災に被災しております。私自身は両方とも直接は体験してはいないんですが、大変さは良くわかるつもりです。
 で、以前から謎だったんですが、この2つの大震災に対する復興ってなぜこうも違うんだろうと。イラチでちゃっちゃとやらんと気が済まない関西って

  国がなんかしてくれるンなんか待ってられへんワ! 
  こっちであんじょうやっとくから、後は金だけなんとかして!

という復興感みたいのあって、そっから見ると東北ってなんとなくじれったいというか。元宮城県民ですので現場の方が苦労されているのは良くわかりますが、それでも国の方針待ちみたいな印象を持っちゃいます。というか、”我々はこうしたい”みたいなエネルギーが関西に比べて少ないような。”知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持て”と言って辞任した復興大臣がいましたが(*1)、そんなこと関西のおばちゃんに言った日にゃ、ソッコ~10ケも20ケも要求並べて

  あんたが出せ言うたんやから、きっちりやっつけてくれるンやろな!

ぐらいのかましありそう。
 前置きが長くなりましたが、今回ご紹介するのは未曽有の東日本大震災を経済的な面から分析した本”震災復興の政治経済学”であります。


写真はたいちろ~さんの撮影。近所のガーベラです

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【本】震災復興の政治経済学(齊藤誠、日本評論社)
  私たちは、震災復興政策について、あまりに広すぎる政策的な構えをし
  原発危機対応について、あまりに狭すぎる政策的な構えをしてしまった
  その結果、前者については、政策の過剰が、後者については、政策の不徹底が、
  不幸にも生じてしまったのである
 (本書より)
 では、なぜこのような結果が生じてしまったのかを経済学の立場から分析した本
【花】ガーベラ
 キク科ガーベラ属の総称。
 復興支援ソング”花は咲く(作詞 岩井俊二、作曲 菅野よう子)”で皆さんが手に持っている花がガーベラだそうです(映像はこちら)。花言葉は”神秘的な美しさ、悲しみ、希望”ですが、花言葉が映像に合っていて素敵です。今でもこの曲を聞くと涙が出てきてしまいます。


 最初にお断りしておきます。政治・経済というのは人間の営みですので、感情的な側面と合理的な側面というのが好む好まざるにかかわらず出てきます。前者を重視するとより人間的な政治ってことになりますが、重視しすぎると経済合理性をややもすると軽視することになります。まあ、バランスの問題ですが。で、本書はというと合理性の観点から震災復興を分析したものですので、読む人によっては”非情で冷たい”印象を受けるかもしれません。ただ、あまりに合理性の観点から震災が論じられることがなさすぎたので、個人的にはこういった意見は非常に重要であると感じます。
 ということをふまえて、本書の話。この本って、情緒的な話を極力踏まえて”経済合理性”をつきつめるとどのような判断がありえたかという内容です。

 本書を読んだ感想としては、今回の(本書が主張する)ミスリードが発生したのは”初動における判断ミス”と、いったん走り出したコトは止められないという”慣性力”みたいなもんがあったんではないかと。

〔震災復興政策について、あまりに広すぎる政策的な構えをしたこと〕
 3.11のあの津波に襲われる街の状況って、会社でUstreamで観てました(*2) あの時の画像がのちの状況を決める大きな要因の一つになるほど衝撃であったのは確か。でも、本書では状況的には岩手県、宮城県、福島県の沿岸部に集中していた被害が”東日本”という言葉でイメージが拡張していったという評価をしています。本書で行っている統計的な分析では”県”単位のデータをメッシュを細かくしていくことで被害状況の正確性を上げるというアプローチをしていますが、確かにこれをみるといかに被災規模が過大に見積もられたかがわかります。(被災地域の被害が過小だったということではありません)
 さらに言うと、大震災前から経済が縮小しているこの地区に、復旧(もとの状態に戻す)じゃなくて復興(成長路線に戻す)メインな政策スローガンになっちゃったわけで。阪神淡路と東日本を両方見た身としては、”株式会社神戸市”と称された成長する都市部の復興イメージを、ぶっちゃけ過疎化が進展している東北地方沿岸部に当てはめるのはかなり違和感を感じてました。
 さらに当時の日本の政治・経済状況を重ね合わせてみると、バブル崩壊からリーマンションクを経ての不況や、財政健全化に対応した公共投資の抑制、政権を失った自民党、てなことに対し一発逆転を狙うような思惑があって歯止めの利かない拡大路線に突っ走っちゃった感があります。

〔原発危機対応について、あまりに狭すぎる政策的な構えをしてしまったこと〕
 こっちは政治的な側面と事故対応の側面があります
 政治的な側面。寡聞にして知らなかったんですが”原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)”ってのがあって、この法律では①電力会社(事業者)は過失の有無にかかわらず損害賠償の無限責任を持つ、②異常に巨大な天災地変又は社会天的動乱によって生じた時は除く、ということになってるんだそうです。で、責任を極小化したい国としては早々に②を適用しないことにして東京電力に責任を取らせる形に決めちゃうわけです。”あの大震災が巨大な天災地変でない”と言われると何が天災地変か? とか思っちゃいます。もっとも東京電力がお金も含めて責任を取りきれるはずもなく、そっから非常にわかりにくい政治スキームが出来上がっていくということを本書では詳しく分析をしています。

 事故対応の側面については素人が軽々に扱える話ではなさそうなので、割愛します。

 まあ、状況に対処するには何かを最初に決めて方針決めて動き出すことが必要なんでしょうが、データーのぶれやステークホルダーの思惑があるにせよ、初動での食い違いを検証して軌道修正がちゃんとできない、その裏っ側にある”状況に乗っかってあれこれいっぺんに片付けようとするスケベ根性”みたいなのが問題じゃないかなぁ。今回の対応がまったく間違っていたというつもりはありませんが、じゃああれでよかったかというといろいろ見直すべきじゃなかったかと

 最後に。本書の”終わり”に出てくる、政治学者からの反論

  ①復興予算の根拠となったストック推計が過大であったこと
   ←震災直後にどれだけの規模の復興予算を提出すれば
    『国民』が十分に納得するかが政治的には重要な課題であって、
    ストック被害額推計の精度は本質的な問題ではない

  ②復興予算の過大推計が明らかになった時点で見直しをすべきであったこと
   ←政府がいったん”19兆円”という数字を出してしまえば、
    増やすことはできても、減らすことなど政治的には絶対不可能である

なんだか、えらい言いようだなぁ。ちょっと、国民をナメてるんじゃないかと。まあ、いろいろな意見があるのでそんな側面がないとはいいませんが、これじゃあ安物の”ポピュリズム”です。

 かれこれ東日本大震災から5年、今までの総括と今後どうするかを考え直すには読んどいた方がよさそうな本です。

《脚注》
(*1)辞任した復興大臣がいましたが
 初代復興大臣、松本龍の発言。”ハッパをかけている”という意味では言ってることはしごくまともなんですが、ほかに色々言っちゃって結局9日間で辞任に。
(*2)Ustreamで観てました
 事務所でテレビが見れなかったんですが、”Ustreamで見れるぞ”との情報があり大型ディスプレイにつなげて視聴。なんでもある中学生がNHKの放送をスマホを使ってそのままUstreamにアップしたとのこと。まさにコロンブスの卵です。
(*3)ポピュリズム
 一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または政治姿勢のことである(wikipediaより)
 まあ、これ自体が必ずしも悪いとは言いませんが、良いとこ取りで矛盾だらけの政策になっちゃうとねぇ・・


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