« 今の人が考える桜=ソメイヨシノのメンタリティって、日本史レベルではかなり後天的なもののようです(桜が創った「日本」/ソメイヨシノ) | トップページ | そのうち”株の高速取引に勝つための唯一の手はプレイしないこと”人工知能は宣ふかもしれません(ウォール街のアルゴリズム戦争/ウォー・ゲーム/すずかけの木) »

技術革新の導入に、日本型企業のほうが向いている時代もありました(メディアの興亡/鉛版)

 ども、これでもコンピュータ企業に30年以上勤めているおぢさん、たいちろ~です(これは本当)
 仕事柄というか、個人的にも好きなので、コンピュータ開発史みたいなのをよく読みます。先日も人工知能開発プロジェクトの”IBM 奇跡の“ワトソン”プロジェクト(*1)”ってのを読みました。そういえば、昔もIBMの開発の苦労話を読んだような。確かコンピューターで新聞を造るてな話だったな~といろいろ調べてやっと思い出しました。
 ということで、今回ご紹介するのは今をさること半世紀前、世界で初めてコンピュータで新聞を発行するプロジェクトのお話”メディアの興亡”であります。


 写真はたいちろ~さんの撮影。朝日新聞社に展示されていた新聞印刷用の”鉛版”です

3272841

【本】メディアの興亡(杉山隆男、文春文庫)
 日本IBMの営業マン伊藤でさえSF小説でも読まされているとコメントした”コンピュータで新聞を作る”というアイデア。このアイデアの実現に向けて日本経済新聞社の”ANNECS(アネックス)”プロジェクトは動き始める。しかしそれはIBMをして”アポロ宇宙計画に匹敵する難事業”と言わしめた苦難のはじまりだった・・
 コンピュータによる新聞作製システムの開発を縦軸に、新聞社を取り巻く経営を横軸に昭和の時代の新聞業界の内実を描いた第17回大宅壮一ノンフィクション賞受賞の傑作
【道具】鉛版(えんばん)
 活字で大組した紙面から”紙型(しけい)”を作って、これに鉛を流し込んで作ったのが”鉛版”。これを輪転機のかけて新聞を印刷します。
 コンピュータを使った電算写植システムをCTS(Computer Typesetting System又はCold Type System)と言いますが、ここで”Cold”が出てくるのは鉛版を熱で溶かす=HTS(Hot Type System)との対比から。


 最初にお断りしておきますが、もしこのブログを見てこの本を読んでみたる若い人には”なんで新聞をコンピュータで作成するのがこんなに大変なんだ!?”と相当な違和感があったと思います。だって紙面のレイアウトっぽいことをするなら数万円のパソコンにPowerがPoint使えばほとんど似たりよったりのことができそうな感。それをIBM本社や日経新聞経営陣を二分するような大論争とか社運をかけた投資だとか大騒ぎ。紹介のコピーがアポロ計画がど~したこ~したまで出てきて! みたいな

 なんでこんなことになるかというと、1970年ごろと80年ごろにかけてものすごい技術革新があったんですな。年表にしてみると

  1964年 IBMがメインフレームコンピュータ”System/360”販売
  1969年 アポロ11号により人類が月面に到達
  1971年 日本経済新聞社が”ANNECS”により新聞紙面を作成
  1978年 東芝が日本初の日本語ワープロ”JW-10”販売(630万円)
  1981年 IBMが現在のパソコンの元祖となる”IBM PC”販売
  1982年 NECがベストセラーPCの初代機”PC-9801”販売

1970年代はそれこそセキュリティ・空調完備の専用ルームに収まっていたコンピューターが、80年代には低価格・小型化して机の上にのっかるようになります。つまりコンピュータが”目の前にあって、使える”ようになったのが1980年代の半ばぐらいから。インターネットの前身であるパソコン通信の日本での普及が80年代の後半ぐらい、さらに下がって現在のユーザインタフェースを普及させた”Windows 3.1”の日本語版の販売が1993年。
 1970年代前半って、メインフレームの性能面でいうとCPUがファミコン並みって時代です(*1)。まあ、システム構成がぜんぜん違うのでファミコンで新聞ができるとは言いませんが。本書に出てくるANNECS用ディスプレイにいたっては、アメリカ国防総省がIBMに発注した防空用早期警戒ライン用高性能レーダー用の流用ってどすこいシロモノだったそうです。
 言ってみれば、1970年代ごろと80年代中盤以降のコンピュータへのイメージって”断絶”レベルで違ってんですなぁ

 本書がユニークなのは技術史的な側面とともに語られる新聞社の経営史。”ANNECSプロジェクト”を強力にプッシュしたのが当時の日経新聞社の圓城寺次郎社長なんですが、周りの役員はこぞって反対したんだとか。さらに仕事を奪われる労働者との確執なんかあったりして、当初のこのプロジェクトは覆面部隊でやらざると得なかったとか。今だったらやれイノベーションだ、ブレークスルーだと技術革新を推し進める経営者は多いでしょうが(実行できるかどうかは別にして)、コンピュータ黎明期では今ほど積極的ではなかったのかもしれませんね。
 これに朝日新聞、読売新聞、毎日新聞等ライバル紙の動向や思惑なんかがからんでて、そっちに興味のある人にも面白いかと。

 付け加えると、圓城寺次郎という人はコンピュータにため込んだ情報をビジネスにするデータバンク、今の”日経テレコン21(日経新聞データベースサービス)”を言いだした人でもあります。今の人だとインターネットで新聞検索当たり前だと言われるでしょうが、当時は、必要な情報は切り抜いてスクラップブックに貼ってとっとくのが普通で、過去の記事を調べるなら図書館の縮小版で探すのが普通のやり方。新聞社から見ても記事情報はそのまま捨てるのが普通の考え方だったようです。それを”記事データベース”としてビジネス化して一石二鳥を狙うなんてことを、インターネットどころかパソコン通信すら普及していなかった時代に勧めようって経営判断って、やっぱすごいです。

 ところで、このシステムってどうもIBM本社が考えていたほど欧米の新聞社には当時売れなかったんだとか。それをふまえてのコメント

  IBMのトップがアポロ計画になぞらえたほど
  現代のコンピュータ技術の粋を結集してつくりあげた最先端のCTSシステムは
  意外にも日本的な雇用関係に支えられた企業の中で、
  はじめて花を開かせることができたのだった

 まったく違う技術史と経営史が並行して語られる本書ですが、それが交わっているのが最終章に出てくるこの一言だと思います

 本書は1986年出版と今となっては30年近く前の本ですが、少し(でもないか)前の時代の歴史を振り返るには面白い本です


《脚注》
(*1)IBM 奇跡の“ワトソン”プロジェクト(スティーヴン・ベイカー、早川書房)
 アメリカのクイズ番組”ジョパディ”に出演し、人間のチャンピオンに勝つことを目的に、IBMのディビッド・フェルーチ率いるチームが結成された。このチームが開発した”ワトソン”ができあがり、人間に勝利するまでの経緯を描いたのが本書です。
 詳しくはこちらをどうぞ
(*2)メインフレームの性能面でいうとCPUがファミコン並みって時代です
 本書に登場する”IBM System/370モデル155”の同一ラインナップ ”IBM System/370モデル158-3”のMIPS(100万命令/秒)値は1.0MIPS(wikipediaより)、1983年販売のファミコンが0.78MIPS。ちなみに2014年発売の”PlayStation 4”が20万MIPS。いかに技術革新がすざまじいかわかります

« 今の人が考える桜=ソメイヨシノのメンタリティって、日本史レベルではかなり後天的なもののようです(桜が創った「日本」/ソメイヨシノ) | トップページ | そのうち”株の高速取引に勝つための唯一の手はプレイしないこと”人工知能は宣ふかもしれません(ウォール街のアルゴリズム戦争/ウォー・ゲーム/すずかけの木) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/528774/63463872

この記事へのトラックバック一覧です: 技術革新の導入に、日本型企業のほうが向いている時代もありました(メディアの興亡/鉛版):

« 今の人が考える桜=ソメイヨシノのメンタリティって、日本史レベルではかなり後天的なもののようです(桜が創った「日本」/ソメイヨシノ) | トップページ | そのうち”株の高速取引に勝つための唯一の手はプレイしないこと”人工知能は宣ふかもしれません(ウォール街のアルゴリズム戦争/ウォー・ゲーム/すずかけの木) »

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ