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かつて”ぴあ”という名の情報誌があった(「ぴあ」の時代/パンタロン)

 ども、かつて関西の某大学で大学祭実行委員長をやってたおぢさん、たいちろ~です(これは本当)。
 大学祭自体は11月上旬ですが、準備なんかは春から始まっているわけです。当時は1980年代の前半でしたのでまだ学内に中核派(*1)なんかがいて全体集会は毎回大荒れ。それでもなんとかかんとかまとめてきます。
 出し物が決まってくると広報をするんですが、当時関西エリアをカバーしてたのが”プガジャ(*2)”、”Lマガ(*3)”といった情報誌。インターネットのイの字もない時代です。
 それでも、自分たちのやってる行事が活字媒体に載るってのはなかなか感動的なデキゴトでした。
 ということで、今回ご紹介するのはかつて存在した情報誌を扱った本”「ぴあ」の時代”であります。


Photo
 写真は”ぴあ”創刊号の表紙。


【本】「ぴあ」の時代(掛尾 良夫 キネ旬総研エンタメ叢書)
 映画が大好きな大学生”矢内廣”たちは映画を見るための情報に飢えていた。どこの映画館でどんな作品が上映しているのか、そこへはどんな道順で行けばいいのか・・
 でもそんな情報が載っている本なんかない。彼らは考えた。それならば自分たちが欲しい情報が載った雑誌を自分達で作ればいいんだと。そして1972年、”ぴあ”は誕生した。
 情報誌としての”ぴあ”の誕生から終焉までを描いたノンフィクション。
【ファッション】パンタロン
 下側にひろがったフォームをもつズボンのこと。1960年代末期より日本で大流行しました。現在ではベルボトムと言うそうです。
 wikipediaで検索すると”ベルボトム”に転送されたうえ”現在では死語と化している”との表記。おぢさん世代にはちょっと哀しい・・・


 現在、情報誌といえば”XX Walker”(角川書店)といったタウン誌、”じゃらん”(リクルート)みたいな旅行誌なんかでしょうか。名前こそ”ぴあ”を引き継ぐ”XXぴあ”みたいなテーマ誌もありますが、情報誌としての”ぴあ”とは別物。おぢさん世代がよく使っていた1980年代はフルカラーなんかは望むべくもなく、ほとんど活字情報、写真もモノクロだったと思います。

 ”ぴあ”の創刊は1972年7月。最終号は2011年7月と今回出てくる3誌の中ではもっとも長命で39年間続きました。その休刊のニュースリリースにあたって、筆者の掛尾 良夫は

  筆者を含めた40代以上の層はもっと複雑だった。
   (中略)
  そして、『ぴあ』を片手に街中をめぐった日々の記憶が鮮やかに蘇ったに違いない
  言い換えるなら、このニュースが読者それぞれの青春を呼び起こしたのだ。
  繰り返すが、彼らの反応は嘆き悲しむ類のものではなく、
  「お疲れさま、ご苦労さま」といった感情だったはずである。

 と書いてますが、おぢさん世代にはまさにその通り。
 パンタロンに底のぶ厚いサンダルを履き、伸ばし放題の髪にチューリップハット(*4)をかぶって、プガジャやLマガ持って遊びまわってましたねぇ。今、この当時の写真が出てきたら絶対笑っゃうでしょうが
 まあ、文化風俗ってのは移ろうものですが、そんなのを乗り越えてこの情報誌は長く続いてたんですねぇ・・・

 ”ぴあ”の編集方針ってのは

  「いつ」、「どこで」、「誰が」、「何を」という客観情報を漏れなく掲載する一方、
  編集部の主張といった主観を一切排除し、情報の取捨選択は読者がする

といったものだそうですが、これってwikipediaみたいなのとある一面に良く似てるんですね。ぴあも”ぴあシネマクラブ”といった映画のインデックス情報を集めた雑誌を出してますが、これもインターネット前夜の”映画版wikipedia”みたいなもんだし。

 ”ぴあ”が発行されていた1970年代から2011年頃までの移り変わりを見てみると

 上映情報なんてほとんどない ⇒ 情報誌で調べる ⇒ インターネットで検索する
 映画は映画館で観る ⇒ ビデオを買って観る ⇒ DVDを借りて観る
 映画は大手映画会社が作る ⇒ 映画会社の衰退 ⇒ 自主映画から新世代の監督が台頭
 古い映画は名画座をチェックして観る ⇒ DVD化してれば100円でOK
 映画館は並ぶもの。予約席はブルジョアの物 ⇒ インターネット予約がデフォルト

 こうやって考えてくと映画というビジネスが急速に変化し、提供される媒体が多様化情報が紙(リアル)からネット(バーチャル)にシフトしていった時代なんですね。当然、これに伴って情報誌としての”ぴあ”が変質を余儀なくされてくのが分かります。その中でインターネットへの対応ってのも必然だったかも。本誌でも”チケットぴあ”の話が出てきますが、キャプテンシステム(*5)から始まるぴあのネットサービスへのかなり早い時期からの取り組みってのもまあ、危機感の表れだったようですし。
 今でこそインターネット当たり前の世の中ですが、”チケットぴあ”のプレスタートは1983年(本格スタートは1984年)。パソコンがやっと普及機に入りがけで、ウェブサービスなんて夢のまた夢の時代です。やっぱし、社長の矢内さんてのは先見の明があったんでしょうねぇ。

 そのほかにも自主映画、新人監督の登竜門になった”ぴあフィルムフェスティバル(*6)”なんて懐かしいネタのてんこ盛りの本。
 本書は”ぴあ”をめぐるプロジェクトXと読むか、情報誌という切り口で1970~80年代のサプカルチャーを見るかはお好みですが、当時青年だったおぢさん世代にはお勧めの本です。

《脚注》
(*1)中核派
 ”マルクス主義学生同盟中核派”のこと。さすがに学生運動自体は下火になってましたが”三里塚闘争”なんてのを掲げてました。当時は大学祭のパンフットにもちゃんと”中核派”で掲載されてましたが、今はどうなんだろう?
(*2)プガジャ
 ”プレイガイドジャーナル”の略称。かつて存在した関西エリアの情報誌。発刊は1971年と今回出てくる3誌の中ではもっとも古く”日本で最初の情報誌”と言われているそうです。
 雑誌自体は1987年に休刊。
(*3)Lマガ
 ”Lmagazine(エルマガジン)”の略。かつて存在した関西エリアの情報誌。発刊は分かりませんでしたが会社(京阪神エルマガジン社)は1979年なので後発と思われます。3誌の中で唯一新聞社資本(神戸新聞社の出資)が入っています。
 雑誌自体は2008年に休刊。
(*4)チューリップハット
 チューリップの花を逆さにしたような帽子。”ぴあ”の表紙の右から2番目の男の人がかぶってるやつです。こっちはwikipediaで検索しても出てこないのがちょっとさびしい・・
(*5)キャプテンシステム
 日本電信電話公社(現NTT)他が提供したビデオテックスサービス。
 今から見れば携帯電話以下のしょぼいグラフィックスとしか思えませんが、当時はニューメディアの旗手みたいにもてはやされてました。
(*6)ぴあフィルムフェスティバル
 ぴあが主催する自主映画のコンテスト&上映会。
 大学の映画サークルが自主映画を撮るのを描いた漫画”あどりぶシネ倶楽部”(細野不二彦、小学館、1986年発行)にも”18歳にして「ぽあ・フィルムフェスティバル」に入選を果たした青年”ってのがでてきます。オウム事件のはるか前なのでOKですが、今ならちょっとヤバいネタかも。

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