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2011年12月11日 - 2011年12月17日

復興の灯りでもそうでなくても、灯りは人々の願いの証です(河北新報のいちばん長い日/神戸新聞の100日/SENDAI光のページェント/神戸ルミナリエ)

 ども、仙台で”光のページェント”を見に行ってきたおぢさん、たいちろ~です。
 今年の”SENDAI光のページェント”は、LED電球が全損したとのことで、開催を心配していましたが、無事開催されました。地元の人間の一人としては 単にイベントが開催されたっていうより”イベントが開催できるぐらい復興してきた”っていう感じがして嬉しい限りです。
 3.11当時は自宅の奥様と息子が被災して、水、電気や電話などのライフラインが壊滅的な被害を受けて大変でしたが、今ではその時がうそのような感じでした。
 ということで、今回ご紹介するのはライフラインの一つである情報メディア”新聞”の復旧の苦労を描いた”河北新報のいちばん長い日”、それと同じように阪神淡路大震災を被災した”神戸新聞の100日”であります。


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 写真はたいちろ~さんの撮影。上は2011 SENDAI光のページェント、下は神戸ルミナリエ(2003年)です。


【本】河北新報のいちばん長い日(河北新報社 文藝春秋)
 2011年3月11日、東日本大震災で被災した河北新報が、販売店の被災、ロジスティックの混乱する中、新聞を発行しつづけた苦労を描いたノンフィクション。サブタイトルは”震災下の地元紙”。
【本】神戸新聞の100日(神戸新聞社 プレジデント社、角川ソフィア文庫)
 1995年1月17日、阪神・淡路大震災に襲われた神戸新聞社が本社崩壊、コンピューターシステムがマヒする中、新聞を発行しつづけた苦労を描いたノンフィクション。サブタイトルは”阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い(*1)”。
【旅行】SENDAI光のページェント
 毎年12月に仙台の定禅寺通りを中心に開催されるイルミネーション。1986年に市民ボランティアがイルミネーションを施したのが始まり。ケヤキ並木をそのまま使ってライトアップしているのが特徴
【旅行】神戸ルミナリエ
 毎年12月に神戸の三宮~元町を中心に開催されるイルミネーション。阪神・淡路大震災後の「復興神戸に明かりを灯そう」という意図で1995年から開催。独特の幾何学模様で構成されているのが特徴。


 ”河北新報のいちばん長い日”は初めて、”神戸新聞の100日”は16年ぶりに再読しました。同じ地元ジャーナリズムが書いた本なんですが、あわせて読むとずいぶん印象が違います。あえてまとめると、編集方針と被害のあいかたの違いになるんでしょうか。

〔河北新報のいちばん長い日〕
 本書の中にもありますが、編集方針のよって立つところは”被災者とともに”。統一標語が”再生へ 心ひとつに”。そのためか、内容は被災者と同じ立ち位置にたっている感じがします。
 神戸の場合と違って、本社やシステムそのものへの被害が少なく(*2)、その分地域の被災の状況に紙面の多くがさかれています。
 約30年の周期性をもっていて数年以内に99%の確率で大地震が起きることが予想されていたにもかかわらず、多大な被害がでたことに充分に新聞として警鐘をならしえたかという想い、一瞬にして街が倒壊した神戸と違って、津波というわずかながらのタイムラグの中で生死を分けたという現実が、読後感をかなり重いものにしています。

〔神戸新聞の100日〕
 本社ビルが使用不可能になり,新聞編集の要であるCTS(*3)が使えなくなり新聞発行そのものができなくなるという危機的状況の中、”新聞を発行する”という目標に向かって不可能を可能にする話がメイン。そういった意味では”プロジェクトX”的な感じとも言えます。
 ほどんど大地震が起きるという予想すらなく(*4)、対策がほとんどなされていない状態(*5)での突然の震災に”とにかくなんとかする”という関西人ならではのバイタリティに感動すらしてしまいます。

 どちらも事前に想定した以上の被害のなか新聞読者への”新聞を発行する”という責務への想いは感動的であります。上記の他にも”街が壊れる”ということと”街が消える”といった違いなんかもあるのかもしれませんが(*6)、根本の所では、まじめで粘り強い東北人と、やたら元気でなんでも笑いに変える関西人の違いなのかもしれません。どちらの本に心を寄せるかは読む人しだいですが、できれば両方読んでいただきたいものです。

 文末になりますが、阪神淡路大震災の鎮魂をこめて始めた”ルミナリエ”、東日本大震災の中で苦難をのりこえて今年も灯りをともした”光のページェント”、成り立ちは違っても、ともに灯りは人の心を明るくし、勇気づけてくれるものだと思います。
 めげていてもしょうがないので、ぜひ前に向かって進んでいきましょう。

《脚注》
(*1)阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い
 このサブタイトルは1995年発行のプレジデント社版のみで、1999年に角川ソフィア文庫での復刻版にはついてません。
 ちなみに、私が今回再読したのは1995年版のほうです。
(*2)本社やシステムそのものへの被害が少なく
 あくまで、湾岸部と比べてで、被害がなかったわけではありません。
 本社という意味では、むしろ社会インフラやロジスティックの影響のほうが大きかったように感じます。
 3.11の災害対策本部にいた経験からですが、初動の時点では物流の拠点が山形からで、東京からだと新潟、青森からとなったため、支援物資の輸送が大変でした。
 神戸の場合は、中心部の被害が大きかったかわりに、周辺の大阪の被害が比較的軽微だったことからロジスティックはまだましだったように思います。
(*3)CTS
 Computerized Typesetting Systemの略。日本語だと、電算写植システム、つまりコンピュータを使用した組版システムです。
 パソコンであたりまえのようにDTP(Desktop publishing 卓上出版)する今の若い人にはわかりにくいかもしれませんが、当時のコンピューターでこのとのことをやるのは大変なことだったようです。
 私自身はあつかったことはありませんが、昔のコンピューターでの新聞作成に興味のある方は、”メディアの興亡(杉山 隆男 文春文庫他)”なんかが面白いです。
(*4)ほどんど大地震が起きるという予想すらなく
 私が大阪から東京に転勤になる時に言われたのが”東京では地震が多いから気をつけて”でした。関西人にとってはこれぐらい地震が起きるという感覚はなかったんですね。
(*5)対策がほとんどなされていない状態
 神戸新聞と新聞発行を代替した京都新聞との間に「緊急事態発生時の新聞発行援助協定」が締結されたのは、この震災が起こる1年前の1994年1月1日とのこと。
 BCP(Business continuity plannin 事業継続計画)なんてのが出てくる前の話ではありますが、危機管理マニュアルすらなかったそうです。
(*6)”街が壊れる”、”街が消える”
 神戸と仙台の両方に住んでいた人間として、一瞬にして多くのビルが倒壊した神戸と、津波で地域ごと流出した東日本ではそんな感じがしています。

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです(魔女のぬいぐるみ/魔女の宅急便)

 ども、”僕と契約して、魔法少女になってよ!”なんてオファーが来るはずもないおぢさん、たいちろ~です。
 唐突ですが、私の奥様は”フラワークラフト作家(*1)”というのをやっております。
 で、久しぶりに単身赴任先から帰ってきますと、机の上に”魔女のぬいぐるみコンテスト ジジ賞(第2位)”の賞状が置いてありました。
 先日、仙台文学館(*2)で”魔女魔女ワールド 角野栄子『魔女の宅急便』の世界”という展示会があって、その中のイベントの”魔女のぬいぐるみコンテスト”に応募したら上記の賞をもらったとのこと。
 まあ、まじめにお仕事して認められるってのは大したもんです
 ということで、今回は宮崎駿の傑作にして児童文学の名作”魔女の宅急便”であります。


Photo

 写真は奥様の撮影。ぬいぐるるみコンテンテストに出品した作品です。
 詳しくは奥様ブログ”フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと”をご覧ください。


【本】魔女の宅急便(角野栄子 福音館創作童話シリーズ)
【DVD】魔女の宅急便(角野栄子、宮崎駿 スタジオジブリ)
 魔女になる修行のためにコリコの街にやってきた13歳の少女キキ黒猫ジジは、ホウキで空を飛ぶ魔法を使って宅急便のお仕事を始めます。
 女子画学生のウルスラや、空を飛ぶ機械に夢中の少年トンボたちとの出会いにより成長していくキキを描いた児童文学を宮崎駿監督がアニメ化した不朽の名作。
 といっても、原作は読んでないんだな~~。こんど読んでみましょう。
【花】魔女のぬいぐるみ by 奥様
 魔女のお約束といえば、先のとんがった黒い帽子に黒マント、手にはほうきか魔法のスティック。これさえ守ればあとはセーラー服でもOKです(*3)。
 同じフォーマットでも赤い服だとサンタクロースになります。奥様ブログにサンタバージョンも載ってますで、あわせてお楽しみください。


 日本という国はキリスト教的宗教感が希薄なせいか、戦闘美少女の系譜としての”魔女モノ”が定着しているせいか、魔女あるいは魔法少女というものにポジティブなイメージをもってるような気がします。今年は”魔法少女まどか☆マギカ(*4)”なんてのも話題になってたし。

 でも、この中でキキって結構異質な存在なのかも。魔法少女の元祖ともいえる”魔法使いサリー”みたいになんでもできるわけでもなく、”美少女戦士セーラームーンシリーズ”や”プリキュアシリーズ”みたいに何かと戦うわけでもなし(*5)。魔法としてはただ飛ぶだけで、使い魔たるカラスですらコントロールできないありさま(ネコのジジが呆れているぐらいです)。
 でも、魔法少女であることを隠す必要もなく、(多少は驚かれているものの)街の人々と普通に交流できているっていう意味では、もっとも幸せな魔法少女なのかもしれません。

 大空にあこがれる少年トンボにとってはキキは空を飛ぶことのできるあこがれの先輩だし、キキにとっては空を飛ぶことの喜びを共感できるトンボは得難い友人でもあるし。だから、空を飛ぶことができなくなったキキとは友達でいられるし、トンボを助けるために空を飛ぶ能力をとりもどすっていうのもとってもけなげだし。
 キキの声を演じた高山みなみさんはさわやかだし、理系くんぽいトンボの山口勝平さんも以外とかっこいいし(*6)。

 改めてみると、魔女のこの映画って1989年に公開ともう20年以上も前の作品なんだな~。
 原作も第1巻が1985年、完結編の第6巻が2009年発刊と、原作アニメともほとんど古典とも言えるようになってます。そういや、奥様とこの映画を見に行ったのは結婚前だったし(その後、二人で映画を見に行くなんてほとんどしてないし)。
 それでも時々また見たいと思うのはやっぱり名作なんだと思います。

 余談ですが、先日私の本部で女性のためのダイバーシティミーティング(*7)というのを開催しました。このミーティングでは、”いろいろへこむこともあったけど、それを乗り越えて私はやってきました”といった内容でディスカッションしたんですが、このテーマ名が”おちこんだりもしたけれど、私はげんきです
 これって、”魔女の宅急便”の映画のキャッチコピーなんですね。
 テーマ名を決めたのは私ですが、夫婦そろって何をやっているんだか・・・

《脚注》
(*1)フラワークラフト作家
 プリザーブドフラワー(ドライフラワー)や木の実、木の枝などを使ってリースやブーケなどを作るお仕事です。規定があるわけではないので、言ったもん勝ちの肩書ですが。
 教室もやっていますので、ご興味のあるかたは、奥様ブログ”フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと”をご覧ください。
(*2)仙台文学館
 財団法人仙台市市民文化事業団が運営する文学館。郷土にゆかりのある近代文学に関する作品の展示や調査研究を行っています。
 児童文学にも力を入れていて、毎年夏休みに”えほんのひろば”として、「林静一の世界展(2011年)」、「あそぶぜ! かいけつゾロリのおたのしみ大さくせん~原ゆたかとゾロリのなかまたち(2009年)」なんかを開催しています。
 お時間がありましたらどうぞ。
(*3)これさえ守ればあとはセーラー服でもOKです
 ”涼宮ハルヒの憂鬱”で長門有希さんの占い師のコスプレがこれ。
 いかにも現代的な魔女像ではあります、たぶん。
(*4)魔法少女まどか☆マギカ
 2011年1月から4月まで放映された深夜アニメ。原作     Magica Quartet、監督 新房昭之、キャラクターデザイン 蒼樹うめ。
 従来の魔法少女モノのイメージを覆すアニメとして話題となりました。
 上記の”僕と契約して、魔法少女になってよ!”は、本作品の中で語られたセリフです。 これがモトネタで「僕と契約して、○○になってよ! 」はネット流行語大賞2011の銅賞になりました。
(*5)魔法少女の元祖ともいえる”魔法使いサリー”~
 魔法使いサリー
  横山光輝の原作で1966年にアニメ化。(漫画版の元の名前は”サニー”)
  女の子向けの作品ですが、当時は男の子も普通に見てました。
 美少女戦士セーラームーンシリーズ
  武内直子の原作で、1992年にアニメ化。1997年まで続編が作成され、
  1970年代を代表するシリーズとなりました。
  2003年にTVシリーズで実写化。セーラーマーズを演じたのは女優の北川景子
  彼女にとっては黒歴史かも・・・
 プリキュアシリーズ
  2004年から開始され現在(2011年12月)でも放映されているアニメ。
  戦う美少女集団という意味では、”セーラームーン”の正当な後継者であります。
(*6)キキの声を演じた高山みなみさんは~
 実はこの二人、”名探偵コナン”のアニメで江戸川 コナンの大人バージョン(工藤 新一)と子供バージョン(江戸川 コナン)を演じています。
(*7)ダイバーシティミーティング
 ダイバーシティとは”多様性”のことで、大まかに言うと性別や人種、身体障害など多様ありようを尊重し、社会の変化と発展に寄与していこうという考えです。

空海において、ごくばく然と天才の成立ということを考えている(空海の風景/東寺)

 ども、最近仏教芸術にはまっているおぢさん、たいちろ~です。
 先日”空海と密教美術展(*1)”に行ってから、みょ~にこの分野が気になっています。だんだん仏さんに近づいてきてる歳ですので、まあそれもありかなと。
 で、この前京都に行く機会がありましたので、東寺に立体曼陀羅を見に行ってきました

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 写真はたいちろ~さんの撮影。東寺の講堂です。
 立体曼陀羅はこの中にあるんですが、内部は撮影禁止ですので外見のみ。
 立体曼陀羅は東寺HPでご覧下さい。

【本】空海の風景(司馬 遼太郎 中央公論新社、中公文庫他)
 弘法大師空海の讃岐、奈良、長安、京都、そして高野山に至る足跡を追いかけた小説。国家とのかかわり、同時代の人である最澄(*2)との確執など、”真言宗の開祖”だけではない空海の人間的な側面がよくわかります。司馬文学の最高傑作とのこと。
【旅行】東寺(とうじ)
 京都市にある東寺真言宗総本山の寺院。別名「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)。 嵯峨天皇より空海に下賜されて、真言密教の道場になった京都の代表的な名所。
 境内には薬師如来を本尊とする金堂、立体曼陀羅のある講堂や、木造塔としては日本一の高さ(54.8m)の五重塔などがあります。

 立体曼陀羅は空海がその晩年に完成させただけあって、その荘厳さは大したもの。
 司馬遼太郎の筆を借りると

 空海は東寺に講堂を建立し、そこにおさめた二十一尊の仏像(五仏、五菩薩、五大明王、六天)は、わが国最初の密教の正規の法則(儀軌)による彫像であった。仏像のまわりの装飾的な装置も、祈念するに必要な宝具も正密によるすべてであり、密教の造形上の法則とシステムは、高野山に先んじて東寺において大完成した。
  (”空海の風景 (29)”より)

 ただ、個人的な感想を言わせてもらうと、”空海と密教美術展”との印象がずいぶん違うんですね。”東寺”の場合、人間界を睥睨するがごとき仏像とそれを拝むという相対する立ち位置に対し、”空海と密教美術展”は、ライトアップされた曼陀羅の間を回遊しながら(*3)、仏像のご尊顔を拝する、いわば”曼陀羅の中にあって幽玄を楽しむ”といった感じでしょうか。それに東寺は”遠くにいらっしゃる仏様を拝む”のに対し、”空海と密教美術展”では”できるだけ近くで仏像に秘められた美しさを鑑賞する”といった目的の違いかも。
 思うに、信仰の対象として仏像にまみえるという”東寺”の宗教的なありように対し、”美術品としての仏像”を展示するという性格の違いでしょうか?
 あるいは、極楽浄土という”遠くにある理想郷”を感じるのに距離感が必要だった平安の人々と、テレビや映画などの”アップで観る”という装置、携帯電話に代表される”距離を感じさせないシステム”に慣れた現代人の距離感の違いなんでしょうか?

 お寺といえば、東寺的な配置が一般的ですが、”宗教的な感動”という点では”空海と密教美術展”のような配置もありかなという気がします。

 ところで、東寺から帰ってきて”空海の風景”を読みました。せっかく空海のお寺に行ったんだから、少しは空海のこと、東寺のことを知りたいなぁと思ったのが動機です。が、この本、読む前に思っていたのと随分違うんですね。
 空海の人生については非常に多くのことが書かれていますが、東寺に関することって、上記の引用以外はほんの少し。
 どうも、司馬遼太郎の興味というのは、正密の理論を完成させた宗教家にして哲学者であり、三筆に挙げられる文筆家であり、多くの仏像や宝具を作らせた芸術家、満濃池の造成に代表される土木への関与、国家を動かして密教を流布させるプロデューサー的能力と数多くの天賦の才を与えられた”空海”がいかに成立したかというところにあって、出来上がったものについての興味は少ないのかも。

 ”空海の風景”は司馬遼太郎いわく小説ですが(*4)、むしろ時空を超えた紀行文といった感じでしょうか。”風景”とはよく言ったもので、空海自体の言葉は(書面に残されたものをのぞけば)ほとんどなくて、空海をとりまく空気みたいなもの=”風景”を積み重ねることで、空海という人の成立をすごくわかりやすいものにしています

 ダイジェストであれば”『空海の風景』を旅する(*5)”という本もありますが、多少時間がかかってもやはり本編を読みたいもの。司馬遼太郎の落ち着いた文体とあわせてお楽しみください。

《脚注》
(*1)空海と密教美術展
  東京国立博物館 平成館にて2011年9月25日まで開催された密教美術、仏像等の美術展。東寺講堂の仏像群による立体曼荼羅は圧巻でした。
(*2)最澄
 還学生(げんがくしょう、短期留学生)として国家の庇護を受けて遣唐使として長安にわたり、天台教学を日本にもたらし、天台宗の開祖になった人。
 旧勢力である奈良仏教との対立みたいな話が多いですが、”空海の風景”では以外に素直でまじめな人のようです。
(*3)曼陀羅の間を回遊しながら
 ”空海と密教美術展”の場合、全部の仏像があるのではないので、正確な表現ではないかもしれませんが、感覚なのでご容赦ください。
(*4)司馬遼太郎いわく小説ですが
 いまさらあらためていうようだが、この稿は小説である。
 ところで、こうも想像を抑制していては小説というものは成立しがたいが、
  (中略)
 しかしながら抑制のみしいていては空海を肉眼でみたいという筆者の願望は遂げられないかもしれず、このためわずかずつながらも抑制をゆるめていきたい。
  (”空海の風景 (1)”より)
(*5)『空海の風景』を旅する(NHK取材班 中公文庫)
 NHKスペシャルとして「空海の風景」を映像化した番組制作スタッフによる歴史紀行。
 映像自体もYouTubeで視聴出来ます

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