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復興の灯りでもそうでなくても、灯りは人々の願いの証です(河北新報のいちばん長い日/神戸新聞の100日/SENDAI光のページェント/神戸ルミナリエ)

 ども、仙台で”光のページェント”を見に行ってきたおぢさん、たいちろ~です。
 今年の”SENDAI光のページェント”は、LED電球が全損したとのことで、開催を心配していましたが、無事開催されました。地元の人間の一人としては 単にイベントが開催されたっていうより”イベントが開催できるぐらい復興してきた”っていう感じがして嬉しい限りです。
 3.11当時は自宅の奥様と息子が被災して、水、電気や電話などのライフラインが壊滅的な被害を受けて大変でしたが、今ではその時がうそのような感じでした。
 ということで、今回ご紹介するのはライフラインの一つである情報メディア”新聞”の復旧の苦労を描いた”河北新報のいちばん長い日”、それと同じように阪神淡路大震災を被災した”神戸新聞の100日”であります。


Photo
Photo_2
 写真はたいちろ~さんの撮影。上は2011 SENDAI光のページェント、下は神戸ルミナリエ(2003年)です。


【本】河北新報のいちばん長い日(河北新報社 文藝春秋)
 2011年3月11日、東日本大震災で被災した河北新報が、販売店の被災、ロジスティックの混乱する中、新聞を発行しつづけた苦労を描いたノンフィクション。サブタイトルは”震災下の地元紙”。
【本】神戸新聞の100日(神戸新聞社 プレジデント社、角川ソフィア文庫)
 1995年1月17日、阪神・淡路大震災に襲われた神戸新聞社が本社崩壊、コンピューターシステムがマヒする中、新聞を発行しつづけた苦労を描いたノンフィクション。サブタイトルは”阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い(*1)”。
【旅行】SENDAI光のページェント
 毎年12月に仙台の定禅寺通りを中心に開催されるイルミネーション。1986年に市民ボランティアがイルミネーションを施したのが始まり。ケヤキ並木をそのまま使ってライトアップしているのが特徴
【旅行】神戸ルミナリエ
 毎年12月に神戸の三宮~元町を中心に開催されるイルミネーション。阪神・淡路大震災後の「復興神戸に明かりを灯そう」という意図で1995年から開催。独特の幾何学模様で構成されているのが特徴。


 ”河北新報のいちばん長い日”は初めて、”神戸新聞の100日”は16年ぶりに再読しました。同じ地元ジャーナリズムが書いた本なんですが、あわせて読むとずいぶん印象が違います。あえてまとめると、編集方針と被害のあいかたの違いになるんでしょうか。

〔河北新報のいちばん長い日〕
 本書の中にもありますが、編集方針のよって立つところは”被災者とともに”。統一標語が”再生へ 心ひとつに”。そのためか、内容は被災者と同じ立ち位置にたっている感じがします。
 神戸の場合と違って、本社やシステムそのものへの被害が少なく(*2)、その分地域の被災の状況に紙面の多くがさかれています。
 約30年の周期性をもっていて数年以内に99%の確率で大地震が起きることが予想されていたにもかかわらず、多大な被害がでたことに充分に新聞として警鐘をならしえたかという想い、一瞬にして街が倒壊した神戸と違って、津波というわずかながらのタイムラグの中で生死を分けたという現実が、読後感をかなり重いものにしています。

〔神戸新聞の100日〕
 本社ビルが使用不可能になり,新聞編集の要であるCTS(*3)が使えなくなり新聞発行そのものができなくなるという危機的状況の中、”新聞を発行する”という目標に向かって不可能を可能にする話がメイン。そういった意味では”プロジェクトX”的な感じとも言えます。
 ほどんど大地震が起きるという予想すらなく(*4)、対策がほとんどなされていない状態(*5)での突然の震災に”とにかくなんとかする”という関西人ならではのバイタリティに感動すらしてしまいます。

 どちらも事前に想定した以上の被害のなか新聞読者への”新聞を発行する”という責務への想いは感動的であります。上記の他にも”街が壊れる”ということと”街が消える”といった違いなんかもあるのかもしれませんが(*6)、根本の所では、まじめで粘り強い東北人と、やたら元気でなんでも笑いに変える関西人の違いなのかもしれません。どちらの本に心を寄せるかは読む人しだいですが、できれば両方読んでいただきたいものです。

 文末になりますが、阪神淡路大震災の鎮魂をこめて始めた”ルミナリエ”、東日本大震災の中で苦難をのりこえて今年も灯りをともした”光のページェント”、成り立ちは違っても、ともに灯りは人の心を明るくし、勇気づけてくれるものだと思います。
 めげていてもしょうがないので、ぜひ前に向かって進んでいきましょう。

《脚注》
(*1)阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い
 このサブタイトルは1995年発行のプレジデント社版のみで、1999年に角川ソフィア文庫での復刻版にはついてません。
 ちなみに、私が今回再読したのは1995年版のほうです。
(*2)本社やシステムそのものへの被害が少なく
 あくまで、湾岸部と比べてで、被害がなかったわけではありません。
 本社という意味では、むしろ社会インフラやロジスティックの影響のほうが大きかったように感じます。
 3.11の災害対策本部にいた経験からですが、初動の時点では物流の拠点が山形からで、東京からだと新潟、青森からとなったため、支援物資の輸送が大変でした。
 神戸の場合は、中心部の被害が大きかったかわりに、周辺の大阪の被害が比較的軽微だったことからロジスティックはまだましだったように思います。
(*3)CTS
 Computerized Typesetting Systemの略。日本語だと、電算写植システム、つまりコンピュータを使用した組版システムです。
 パソコンであたりまえのようにDTP(Desktop publishing 卓上出版)する今の若い人にはわかりにくいかもしれませんが、当時のコンピューターでこのとのことをやるのは大変なことだったようです。
 私自身はあつかったことはありませんが、昔のコンピューターでの新聞作成に興味のある方は、”メディアの興亡(杉山 隆男 文春文庫他)”なんかが面白いです。
(*4)ほどんど大地震が起きるという予想すらなく
 私が大阪から東京に転勤になる時に言われたのが”東京では地震が多いから気をつけて”でした。関西人にとってはこれぐらい地震が起きるという感覚はなかったんですね。
(*5)対策がほとんどなされていない状態
 神戸新聞と新聞発行を代替した京都新聞との間に「緊急事態発生時の新聞発行援助協定」が締結されたのは、この震災が起こる1年前の1994年1月1日とのこと。
 BCP(Business continuity plannin 事業継続計画)なんてのが出てくる前の話ではありますが、危機管理マニュアルすらなかったそうです。
(*6)”街が壊れる”、”街が消える”
 神戸と仙台の両方に住んでいた人間として、一瞬にして多くのビルが倒壊した神戸と、津波で地域ごと流出した東日本ではそんな感じがしています。

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コメント

神戸の地震の時は箕面から能勢に抜けて西へ行き、有馬街道を通って長田まで壊れたマンションからの荷物の運び出しに何度か通いましたが、長田区の北の方は結構無事だったのに平地に入った途端一面の焼野原、写真で見た空襲後のような光景が広範囲に広がっていたのを見たときには、なんか泣けてきたよなぁ。火事と津波の違いはあるけどあんな光景がもっと広範囲に広がっているというのはなんとも言いようがないよね。
長田は今はきれいになっているけど、残念ながら人は未だに戻っていない空きビルだらけの変な街になってしまった。震災復興とは街をきれいに作り直すのも大事だけど、人が戻ってくるようなことを考えてほしいと思いますよ。

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