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2010年2月28日 - 2010年3月6日

ところで、お雛様って右だっけ左だっけ?(灼眼のシャナS/豆雛)

 ども、性格はオバチャンでもおぢさんの、たいちろ~です。
 今年は過ぎてしまいましたが、娘がおりますので雛人形は飾ります。狭いマンションですので、お内裏様とお雛様だけですが、ところでお雛様って右に飾るんだっけ、左だっけ? 入れ替わっちゃいけないんだっけ?
 ということで、今回ご紹介するのは、男と女が入れ替わるお話”灼眼のシャナS”より”リシャッフル”であります。

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 写真と作成は奥様より。豆雛(まめひな)です。
 奥様ブログ 「フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと」より

【DVD】灼眼のシャナS(原作:高橋弥七郎 イラスト:いとうのいぢ 制作:J.C.STAFF)
 高橋弥七郎によるライトノベル”灼眼のシャナ”のアニメ化。
 人間の“存在の力”を喰らう“紅世の徒”と戦うフレイムヘイズ”炎髪灼眼の討ち手 シャナ”と、宝具”零時迷子”を有する坂井 悠二の物語(*1)
 今回のサブタイトル”リシャッフル”は、”リシャッフル”という宝具によって心と身体が入れ替わってしまったシャナと悠二のドタバタコメディの番外編。
【花】豆雛
 小さな雛人形のこと。”豆”には小さいもののたとえに使うので、別に豆でできているわけではありません。

 男の子と女の子が入れ替わる話としては、大林宣彦監督の映画”転校生(*2)”や古くは弓月光の”ボクの初体験(*3)”とか、けっこう面白い作品が多いです。こういった”男と女が入れ替わる”というありえないシチュエーションになった時、どんな行動をとるかがお楽しみ。パニくる奴、冷静な奴、やりたい様にやる奴、まあどんな行動をとってもはたから見てると面白いんですが。

 さて今回のシャナちゃんと悠二くんですが、二人とも戦う人なのでさすがにパニくったりはしませんし、元に戻るためにちゃんと努力はします。でも、こういう状況になると普段はタカビーなシャナと、普段はヘタレな悠二の関係ばびみょ~に変化するのもお約束。

 初めてスカートをはいた経験の悠二くん、

  しかし、スカートってのは涼しくていいんだけど
  いやにパンツがぴったりすぎるんだよなぁ

 はいたことないからわなんないけど、そうなんですか?! 変なところで冷静な悠二くんです。

 気絶した悠二くんの上に覆いかぶさるシャナちゃん、シャナちゃん(自分の身体)の唇をみつめて

  今、悠二の身体は私の思いのままに動く・・・

 といって、キスを迫ります。お母さんの声で思いとどまりますが、自分の身体にキスして嬉しいんでしょうか?(嬉しいんでしょうね、きっと)
 この人は、根っからやりたいことをやる派です。

 ところで、今回のお話で最大の謎はこの”リシャッフル”なる宝具、何のために作られたのでしょうか。”心の入れ替わりは、二人の心の間に壁があると効果が発動しない”という武器としては致命的な欠点があるので、それはなさそう。
 ひょっとして、えっちぃことするため?
 同じく弓月光の”みんなあげちゃう(*4)”の中で主人公の悠乃と六郎が心と身体を入替えてエッチするってネタがありましたが、まさかねぇ・・・
 だとしたら、“紅世の徒”もあなどれません。

 最後に”ところで、お雛様って右だっけ左だっけ?”の答えですが、これは”どちらでもいい”が正解。
 社団法人日本人形協会のホームページによると”京都など古い土地柄で行われる古式(向かって右が男雛)と、昭和以降、昭和天皇のご即位の方式にならった現代式(向かって左が男雛)とがあり、いずれを用いるのも自由です”とのこと。
 上記の写真を含めて、奥様ブログ 「フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと」には2枚の写真が載っていますが、豆雛は古式、雛人形は現代式で飾っています。

 話が豆雛なので、”豆知識”でした。

《脚注》
(*1)人間の“存在の力”を喰らう“紅世の徒”~
 こういう独特の世界観を一言で表すのはとっても難しいです。たぶん、作品を見てないとなんのことかでんでんわかなないだろ~な~
  存在の力   :人間が存在するためのエネルギー
  紅世の徒(ぐぜのともがら):この世ではない世界から渡ってきた生命体
  フレイムヘイズ:紅世の徒と戦う異能を得た元人間
  宝具(ほうぐ):ドラえもんの便利道具みたいなものと思ってください
  零時迷子(れいじまいご):午前零時に存在の力を復活させるという
          ”エネルギー保存の法則”を無視した存在
(*2)転校生
 監督:大林宣彦、出演:小林聡美, 尾美としのりによる1982年上映の映画。
 斉藤一夫(尾美としのり)のクラスに転校生がやってきた転校生の斉藤一美(小林聡美)は、石段を転げ落ちたことによって、二人の身体と心は入れ替わってしまう。
 のちに”時をかける少女”、”さびしんぼう”とともに”尾道三部作”と称される作品。見たかったのでTUTAYAに行ったんですが置いてないとこのこと。なぜだ?
(*3)ボクの初体験
 失恋したショックで自殺しかけた英太郎は、怪しげな医学博士に助けられて、博士の亡き幼妻の体に脳を移植されてしまった!?
 マーガレットに連載された少女マンガ。
 弓月光は、今でこそ”甘い生活”とか青年向けのマンガを描いてますが、昔は少女マンガ家だったんですよ~~
(*3)みんなあげちゃう
 予備校生、地下中六郎と、世界的な富豪の女子高校生、間宮悠乃によるちょっとエッチなラブコメディ。元々は少女マンガ誌に掲載予定だったそうです、内容が内容なだけに”ヤングジャンプ”に連載が決まったとのこと。そうだろうな~~

 奥様ブログ 「フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと」はこちら

そっか、卒業してもみんな一緒だ(あずまんが大王/桜)

 ども、卒業生の父親、たいちろ~です。
 3月1日は娘の高校、3月6日は息子の中学の卒業式です。
 おめでとうございます
 でも、早いな~~、もう3年も経つんだ。この前、入学したばっかりだと思っていたのに。どうも年をとると時間流が加速されているような気がしてしかたありません。

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 写真はたいちろ~さんの撮影。二ヶ領用水の桜です(2009年4月5日の撮影)。

【本】あずまんが大王(あずまきよひこ 小学館)
 天才少女のちよちゃん、関西弁の大阪さん、いつも元気なともちゃん、つっこみ役のよみちゃん、クール&ビューティの榊さん、スポーツ万能の神楽さん。どこにでもいそうな女子高校生たちのスクールライフを描いた4コママンガ。
 担任でトラブルメーカのゆかり先生や、唯一常識派の黒沢先生も魅力的です。
【花】
 Wikipediaによると、”桜はバラ科サクラ属の植物のうち、ウメ、モモ、アンズなどを除いた総称”。どうりで桜か、梅かを迷うはずです。
 年や地域や種類ににばらつきはありますが、東京近郊だと桜は3月下旬から4月上旬、梅はもうちょと早くて3月中旬ぐらいが開花時期。

 卒業式はひとつの時代のピリオドであるとともに、新しい時代への序曲でもあります。なので、卒業式の曲っって、別れだけを歌っているだけじゃないんですね。”仰げば尊し”の、”今こそ 別れめ、いざさらば”のフレーズが印象的なので、そんな気になってしまうんですが、この曲だって2番では”身を立て 名をあげ やよ 励めよ”と応援しているし。

 卒業式の歌のポイントって、”再会の約束”と、”輝ける未来への前進”って気がします。

 たとえば、”さくら(独唱)”(*1)
  さくら さくら いざ舞い上がれ 永遠にさんざめく光を浴びて
  さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で

 たとえば、”桜ノ雨”(*2)
  今はまだ、小さな花弁だとしても、僕らは一人じゃない
  いつかまた、大きな花弁を咲かせ、僕らはここで逢おう

 たとえば、”旅立ちの日に・・・”(*3)
  桜舞う4月の教室で 波打つ胸をはずませながら出会った永遠の仲間たち
   (中略)
  今新たな扉開き はるかな年月経て
  つぼみから花咲かせよう つぼみから花咲かせよう

 どうも、桜っていうと入学式のイメージがありますが、卒業式ソングにもけっこう出てきているんですね、こうやって見ると。いっぱいに咲き誇る桜って、入学の”新しい生活が始まる”っていうイメージがありますが、卒業式も同じなのかもしれません。

 4コママンガ”あずまんが大王”の中で、卒業式の日に生徒のちよちゃんと担任の先生のゆかり先生がこんなことを言っています。

  ちよちゃん:ホントにもう 高校終わっちゃうんですね・・
  ゆかり先生:そだよ
  ちよちゃん:もう毎日みんなと会えなくなるんですね・・
  ゆかり先生:まぁそんだけの事だ あんたらは大丈夫だろ
        しらね~けど
  ちよちゃん:?

 その後、卒業記念にみんなで遊びに行く光景を見て

  ちよちゃん:そっか、卒業してもみんな一緒だ

 と気がつきます。

 私も高校を卒業して早や、30年以上になりますが今でも時々、高校時代の友人と再会します。思い出(単なるやんちゃしてた時代ですが)を共有できる友人と(*4)気兼ねなく話ができるって、とても貴重なことです。たまにしか逢えないけど、このブログにコメントをよせてくれる”YO~YO~”も高校時代の友人。とりあえず、元気に生きていることが分かるだけでも嬉しいです。これで、嫁をもらってくれれば、友人としてはなお嬉しいんですが・・・

 咲いては散り、散っては咲く桜のように、友人たちとの出会いと再会、新しい仲間との出会いを大切にする人生を送って欲しいと、親としては子供たちに願うのであります

《脚注》
(*1)さくら(独唱)
 作詞・作曲・歌 森山直太朗。
 森山直太朗のお母さんが森山良子さん。お母さんの歌った”今日の日はさようなら”も卒業式ソングですから、親子2代に渡って卒業式ソングの名作を歌ってるんですね。
 宮城県第三女子高等学校音楽部と森山直太朗による”さくら(合唱)”というのもあります。こちらも素敵ですので、ぜひどうぞ。
(*2)桜ノ雨
 作詞・作曲 halyosy。
 2008年8月に動画投稿サイト「ニコニコ動画」へ投稿されたボーカロイド”初音ミク”による卒業式ソングです。私の最も好きな歌のひとつ。名曲ですので、ぜひお聞きください。詳しくははこちらから
(*3)旅立ちの日に・・・
 作詞・作曲・歌 川嶋あい。
 同名の曲に”旅立ちの日に”(作詞 小嶋登、作曲 坂本浩美)という合唱曲もあります。ともに卒業式ソングの定番。
  今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
  はずむ若い力信じて この広い大空に

(*3)思い出を共有できる友人と
 ”なんで、そんな昔のこと覚えてんねん!”というツッコミをよく受けますが、これは年をとった証拠。新しいことが覚えられないだけです。

 奥様ブログ 「フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと」はこちら

はたして賢か愚か?(のぼうの城/梅モドキ)

 ども、会社では単なる愚か者のおぢさん、たいちろ~です。
 私にしては珍しく、TVかなんかの書評で面白いというのがあって、この本を読みました。”のぼうの城”であります。
 いや、面白かったですよ、この本!

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 左の写真はたいちろ~さんの撮影。近所の園芸店の梅モドキです。

【本】のぼうの城(和田 竜 小学館)
 攻め手、石田三成、大谷吉継率いる2万3千人の大軍。守り手、”のぼう様”こと成田長親、その友人正木丹波の率いる武士+農民混成軍3740人。
 圧倒的な戦力差の中(*1)、始まった忍城攻防戦の結果は?。
【花】ウメモドキ(梅擬)
 9月頃に赤い実のなるモチノキ科の落葉小高木。
 ”XXモドキ”っていうのも失礼なネーミングですが、それ以前にどこが梅なんでしょう? 南天や、万両ならまだ分かるんですか・・・
 花言葉は”知恵、明朗”など。

 ”のぼうの城”のネーミングの由来は、主人公”成田長親”のあだ名。これは”木偶の坊”の”のぼう”なんですね。今風に言うと”天然系”。この手の人間の何が怖いかというと、”何を考えているか分からない”、”空気が読めない”、”何を言い出すか分からない”。つまり、行動が読めないんですね、これが。

 会社なんかでも、多少仕事上付き合っていると、だいたいの人は行動パターンや思考回路というのがなんとなく分かってくるものです。こういう人は”どこをどういじれば、どういうリアクションが返ってくるか”の想像がつくので、ツッこみどころがわかります。 ところが、これがわからない人ってのもたまにいます。この”わからない”ってのも2パターンあって、一つ目は”底の見えない人”つまり、こちらの予想していたリアクションを超えた反応を返す人。もうひとつは”いざという時に大バケする人”。普段は別になんということはないのに、緊急事態が発生すると意外なパワーを発揮するタイプ。逆に普段はリーダーシップを発揮するのにイザというとき、行動が型にはまって上手くとりまわしのできないタイプ。いわゆる”平時の将”と”緊急時の将”というやつです。

 ”のぼうの城”って歴史モノなんですが、読書感があんまりそんな感じがしません。戦国武将って有能な人は(結果はともかく)有能で、小才子はなにをやらせても小才子ってパターンが多いですが、この平時の将と緊急時の将の組み合わせで難局を乗り切るってパターンだからかも。

〔攻め手 豊臣軍〕
・大将 石田三成
 のちに関が原の戦いを画策した人。豊臣秀吉は”理財には長けている、軍略に乏しい”と指摘していますが、長大な堤を作成して水攻めをしたりとダイナミックなこともやっています。結果的には敗北しますが、全体として見れば有能な人です。
・参謀 大谷吉継
 豊臣秀吉をして「吉継に100万の兵を与えて、自由に指揮させてみたい」と言わしめた武将。関が原の戦いでは石田三成は勝てないと先が読めていながら、友誼のために共に戦うといった熱い一面もあります。
・小才子 長束正家
 軍使として忍城に赴き、横柄な態度とムチャぶりで、開城に決まっていた成田側の意見をひっくり返して戦端を開くきっかけを作った人。

〔守り手 成田軍〕
・大将 成田長親(のぼう様)
 普段は百姓仕事にあこがれながら、百姓にすらじゃまにされる不器用さ。武術もまったくダメダメという無能を絵に描いたような人ですが、この人の”戦いまする”の一言で忍城攻防戦が開始されることになります。
・参謀 正木丹波
 武道に秀で、騎馬鉄砲なんていう戦術を考え出すなど知略も持っている人。おそらく忍城側ではもっとも有能。ただ、子供のころ見た上杉謙信ような武運が自分にはないというコンプレックスと、まとめ役という立場から行動に枠をはめがち。
・小才子 成田氏長
 北条家に味方するように見せながら、豊臣軍に内通した人。のぼう様が”戦う”なんて言い出さなければ”有能”と評価された可能性もあります。

 で、のぼう様を”賢者か愚者か”という分類で言うと明らかに愚者。でも、底の見えない愚者なんですね。ところが、賢者であるはずの三成&吉継はというと、自分のモノサシでモノを考えるので、かえって混乱をきたしてしまいます。

  敵の勝利を痛快がっていた三成でさえ、
  なにか得体の知れぬ男を敵に回してしまったかのような心地がしていた
   「どう思う」
  三成は、思わず吉継にきいていた。
   「でくの坊と呼ばれ平然としている男か
  吉継は、深刻な顔でつぶやいた。
   「果たして賢か愚か

 小説をよく読んでみると、軍略上でのぼう様がやった重要なことって、戦うことを決めたのと、敵前で田楽を踊ったのと、敗戦交渉をやったことぐらいで、軍事上の差配はほとんど参謀役の正木丹波がやってるんですね。結局、この二人の組み合わせがあったからこその勝利。ですが、のぼう様のもっとも決定的なところは何かというと、意外な人望があったことだと思います。
 しぶる百姓たちを城に篭城させて戦力化しようと説得する正木丹波。”誰が戦うと決めたんだ”という百姓の問いに対して”長親だ”と答えると

  しょうがねえなあ、あの仁も
  のぼう様が戦するってえならよう、
  我ら百姓が助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ。なあ皆。

 いみじくも三成が評しているように、”のぼう様は何もできないから、家臣も領民も世話を焼きたくなる”。つまり、賢か愚かといった問いひょいと飛び越えたところにこの人の持ち味があるんでしょうね。
 以前、何かの本で読みましたが、仕事における最上の人間関係って、”この人にモノを頼まれると(強制的ではなく)やらないといけない”という気持ちにさせることだそうです。

 普段はリーダっぽく振る舞いながら、いざという時にものが決められない”リーダもどき”とか、知識はあっても知恵がない”参謀もどき”が跳梁跋扈する昨今、”もどき”ではない本物のコンビの活躍が望まれます。
 ”戦国BASARA(*3)”とは違った意味で今風の歴史モノ。さわかやな読後感が味わえます。

《脚注》
(*1)圧倒的な戦力差の中
 一対一の戦闘の場合、戦闘力が優勢な方が勝利し、勝利側の損害は劣勢の戦闘力と等しくなる。一人が多数に対して攻撃ができる場合、戦闘力を2乗した上で戦闘力が優勢な方が勝利する。(ランチェスターの法則)
(*2)戦国BASARA
 戦国時代を描いたアクションゲーム。アニメ化もされています。有能な人は超人的なまでに有能、無能な人はどうしようもなく無能と、その極限にまでデフォルメされたキャラクター設定が笑えます。
 詳しくは、こちらのブログでどうぞ!

 奥様ブログ 「フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと」はこちら

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