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2010年1月17日 - 2010年1月23日

究極のババ抜き、「JAL祭り」(ネット金融維新伝/キョウチクトウ)

 ども、マネーゲームにはとんと縁のない貧乏人、たいちろ~です。
 ここんとこ、新聞をにぎわしている日本航空ですが、株式市場でも大商いになっている模様。このブログを書いている最新状況では、2010年1月15日の出来高が5.5億株、売買代金が55億円。初値が一株8円、高値が10円ですから、上手く売り抜けていれば1日で125%の値上がり益があったはず。
 その代わり、売れなくて最後まで持っていると、上場廃止で0円になる可能性も高いので、ひと財産賭けたババ抜きをやっているようなモンです。
 さて、こんなことが出来るようになったのは、手数料の自由化とネットトレーディングのおかげですが、今回ご紹介するのはネット証券会社を作った人たちのお話”ネット金融維新伝”であります。

Photo
写真は”花々のよもやま話”のHPより。
キョウチクトウです。





【本】ネット金融維新伝 (大下 英治 日本証券新聞社)
 日本でネット証券会社を起業したSBI証券の北尾吉孝、マネックス証券の松本大ら、5社7人の伝記。サブタイトルは”リスクテイカー”。
 NSJ日本証券新聞の連載を1冊にまとめたものです。
【花】キョウチクトウ
 漢字で書くと”夾竹桃”。葉が竹に、花が桃に似ているからこの名前がついたそうです。
 大気汚染等に強く、きれいな花が咲きますが、反面、花、葉、根、果実のすべてに毒性があるとのこと。なので、花言葉は”危険

 私自身は株はやってませんが、その理由はリスクテイク、つまりリスクをとってまでなんかしようと思わないから(*1)。プロ中のプロが何十億円単位で相場を張っているのに対し、素人がそうそう勝てるとは思ってません。
 ただ、世の中には、デイトレーダーとして個人で利益を上げている人もいらっしゃるようですが、これはこれで専念しないと勝てないんじゃないかと。
 このデイトレーダーの登場は比較的新しく、まだ10年と立っていませんが、これは、今回ご紹介するネット証券会社が個人向けのサービスを始めたからです。

 ネット証券が登場した背景としては金融ビックバン(*2)とインターネットの爆発的な普及がありますが、全然別々の事象を結びつけてビジネスにした人がいたわけで、それが本書で紹介されている人たちです。
 ほぼ同時期にサービスを始めたんですが、それぞれの成り立ちや事情や違っていて比べて読んでると、けっこう面白いです。

〔松井証券〕
 社長の松井 道夫は元々は日本郵船に勤めていましたが、奥さんの親が松井証券の社長で、結婚を期に松井証券に入社し社長になったという金融機関では異例の経歴の持ち主。言ってみれば、アウトサーダーです。社長の後ろ盾があるとはいえ、営業店舗を廃止してネットに特化するなど、通常では考えられない大改革を行っています。
 社内では、「何もわからないくせに」、「こんな馬鹿と付き合えるか」など相当な軋轢があったようですが、当たり前。でも、こういう人でないと思い切ったことは出来ないんでしょうね(*3)。

〔楽天証券〕
 社長の國重 惇史は東京大学卒、住友銀行入行、MITのMBA取得と銀行の出世街道を絵に描いたような人。住友グループの各社に声をかけてDLJディレクトSFG証券(楽天証券の前身)を立ち上げました。
 キラーコンテンツである”マーケットスピード”というサービスをアメリカのDLJディレクト証券から持ってきたり、大胆な取引手数料設定をしたりと楽天証券の拡大に尽力しました。

 この2人が面白いのは、松井 道夫が”ベンチャービジネスの起業家”的な性格が強いのに対し、國重 惇史がグループ企業の力を集めてビジネスを立ち上げる”企業内起業家”の様相を呈しているところ。
 なので、松井が大胆なビジネス改革を行える半面、グループ企業としての広がりを持たず、個人取引に重点を置かざるを得なかったようです。かたや、國重は住友グループ力を利用できた半面、親会社(住友銀行、アメリカCSFB証券)の都合で会社の株を売却するという意向には逆らえませんでした。

 まあ、利用する方から見ればサービス第一なので、どうでも良いような話かもしれませんが、新しい産業黎明期の歴史で、けっこうリアルタイムで見ていた世界なので、5社それぞれに面白いエピソードもあって、楽しめる本であります。

 ただ、「JAL祭り」で一儲けした華やかな面ばかりに気をとられていると、財産を失ってしまう危険も。キョウチクトウの花に見とれていると、毒を含んでいるように。
 なにせ、金融ビックバンの大前提は”自己責任”ですから・・・

《脚注》
(*1)リスクをとってまでなんかしようと思わないから
 リスクは日本語では”危険”と訳しますが、実際は”不確実性”に近いものなので、利益を上げることもリスクの中に含まれます。なので、不倫はリスクですが、麻薬はリスクではありません(どんなたとえや?!)
 もっとも、株をやらない最大の理由は”金がないから”でありますが・・・
(*2)金融ビックバン
 日本では1996年から2001年度にかけて行われた金融自由化の制度改革。3原則としては、
  Free  :市場原理が機能する自由な市場
  Fair  :透明で信頼できる市場
  Global:国際的で時代を先取りする市場
 金融機関のお客様を集めてセミナーなんかもやってました。
 でも、たった10年ちょっと前の出来事なんですねぇ
(*3)こういう人でないと~
 以前、”新しいビシネスは愚者にしかできないのかも(異業種競争戦略)”というブログで書きましたが、その業界で育った人って、どうしても業界ルールとか常識とかにとらわれていて、ブッとんだ発想でモノを考えるのが苦手になってしまうようです。

 奥様ブログ 「フラワークラフト作家”Ann”のひとりごと」はこちら

「神戸新聞の7日間」に思う(神戸新聞の100日/神戸港震災メモリアルパーク)

 ども、神戸に住んでいた、たいちろ~です。
 結婚してから、2年半ほど神戸市垂水区に住んでおりました。阪神淡路大震災の時は東京に引っ越していて、直接地震にはあっていませんが、親戚にも被災した人と、被災を助けた人がおります
 2010年1月16日”神戸新聞の7日間(*1)”を観ました。で、いろいろ考えたことを書いてみます。
 それにしても、地震からもう15年にもなるんですね。

0307
写真はたいちろ~さんの撮影。
神戸港震災メモリアルパークです。





【本】 神戸新聞の100日(神戸新聞社 角川ソフィア文庫)
 神戸の地元新聞”神戸新聞”。本社ビルが全壊し、自らも被災者でありながら新聞を発行していくノンフィクション。
 今回のドラマの原案としてテロップで紹介されています。
【旅行】神戸港震災メモリアルパーク
 神戸港のメリケンパークにある岸壁。阪神・淡路大震災により沈降、傾いた街燈が保存されています。
 メリケンパークは地震の前にも訪れたことがあるので、最初にこの光景を見たときは信じられませんでした。


 被災したのは私の義理の両親。東灘区のマンションに住んでおりました。マンション自体は壁にひびが入った程度で、倒壊した家屋の方に比べると軽微ではありましたが、近くでがけ崩れのおそれがあるとのことで、一時期、千葉に住んでいた私の家に非難してもらいました。復旧していた阪急西宮北口駅まで歩いて大阪まで出たそうですが、ほとんど着の身着のままで神戸から来た自分達と、何もなかったかのような大阪のギャップに驚いたといった話をしていたのを覚えています。
 今回のドラマでも全壊指定を受けた神戸新聞本社(*2)といつもどおりの京都新聞の編集室の映像がありましたが、確かにそうだんったんでしょうね。

 被災を助けた側だったのは、私の義理の兄で消防署に勤務しておりました。当時は救急車に乗っていて、自身の家族も被災していましたが、消防署にとんでいってそのまま一週間、家に帰らなかったそうです。全国の消防署から応援の人が来て”休んでください”と言ってくれたそうですが、とてもそんな気にならなかったとのことでした。
 また、ドラマの中で救助の要請に対して”息のある人から助ける”といって救助の人が立ち去っていくシーンがありましたが、あれはやるほうもかなりつらいことだと言ってました。今でこそ、トリアージ(*4)という考え方もありますが、”非情である”という風に観ないで欲しいと思います

 私事ですが、私は会社で”新型インフルエンザ対策/事業継続”の担当者をやっております。我が身を考えると、”被災した家族をほっといても仕事に行くか”と訊かれて”行く”と答える自信はありません(*3)。
 ですので、新聞社の人といい、消防署の人といい、仕事の内容は違っても社会インフラの人の使命感には頭がさがります

 現在の新聞はコンピュータを使って作成さています。ドラマでは描かれていませんが、私の知人がこのコンピュータの復旧を担当していて、”神戸新聞の100日”で紹介されていました。当時は35歳ぐらいですから、まだ一担当者だったにもかかわらず名前を載せられていましたので、相当現場で苦労したんだと思います。

 ”神戸新聞の100日”は、被災者と報道する立場という二面性を持たざるを得なかった人たちによる稀有な本だと思います。読後からもう15年近くたっていて、改めて読もうと思いましたが、すでに絶版になっている様子。
 ドラマの中でも”語り継ぐことが新聞記者の使命”といったコメントがありましたが、ぜひ、出版し続けて欲しいと思います。

 文末ではありますが、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

《脚注》
(*1)神戸新聞の7日間
 2010年1月16日にフジテレビ系列で土曜プレミアム特別企画として放映。サブタイトルは”命と向き合った被災記者たちの戦い”。
(*2)神戸新聞本社
 三宮駅のまん前にあった新聞会館の中にありました。三宮のランドマークでもあったので、95年の夏に三宮に行ったときには跡形もなくなっていて、すごく違和感があったことを覚えています。
(*3)トリアージ
 人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること(Wikipediaより)
(*4)”行く”と答える自信はありません
 お客様の事業継続で”コンピューターのバックアップサービス”の企画担当もしています。現在のコンピュータは人間がバックアップシステムのある場所まで行かないと動かないので”自分の家族が被災している状態で仕事に行くか”という問題は、実は重要な要素になります。
 この議論は、被災状況や感情論(仕事への義務感、家族愛、人道 等)の問題に帰結するので、事前に担当を決めて、その通り動くというのはかなり難しいです。
 結局、”行ける人間が行く”というルールを決めるぐらいしか解決策はないんじゃないかと個人的には考えています。

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