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インターネットははたして純粋経験なりや?(善の研究/哲学の道)

 ども、哲学するおぢさん、たいちろ~です。
 先日、京都の哲学の道に行ってきました。あいにくの雨でしたが、逆に考えると雨にけぶる疎水のほとりに咲くあじさいなんてのはかえって風情があり、世俗の塵芥にまみれたおぢさんも”哲学してみましょうか”って気になります。
 ということで、今回ご紹介するのは日本哲学の泰斗、西田幾多郎(*1)の”善の研究”であります。


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写真はたいちろ~さんの撮影。左は哲学の道とあじさい、右は哲学の道の碑です。


【本】善の研究(西田 幾多郎 岩波文庫)
 純粋経験の立場から、哲学の全領域にわたって整然と組織された哲学の本。のちに西田哲学の基礎となったそうです。初版は明治44年(1911年)と百年に及ぶロングセラー。解題を書いている下村寅太郎いわく”西田哲学の入門書に最適”とのことですが、とっても難しかったです。
【旅行】哲学の道
 京都の南禅寺付近から銀閣寺まで続く疏水のほとりの散歩道。西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたそうです。
 確かにこの閑静な小道を歩いていると哲学の気分にひたれます。派手さはないけど京都観光のお勧めスポット。


 さて、西田哲学の要諦にあるのが、”純粋経験”。本書から抜粋すると

  経験するというのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。
  全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
  純粋というのは、普通に経験といっている者も
  その実は何らかの思想を交えているから、
  毫も思慮分別加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。

 この色は何とかの判断もなく、こいつは何を言っておるのだという推理もない本当に感じたままの状態のこと。この上に”思惟”があり、”意思”があるらしい。で、ただ、”私は哲学の道を歩いている”という純粋経験から、”ここはひとつ西田幾多郎でも読んでみましょうか”ということになるわけです。
 正直言って、この本を読むまで”幾多郎”を”きたろう”ではなく”いくたろう”と読んでるぐらいで、”哲学の道”に行かなければこの本を読むことはなかったでしょうねぇ。

 さて、今回のお題の”インターネットははたして純粋経験なりや?”でありますが、ネット上のこんなブログを読んだりとか、バーチャルチアリティってのは”純粋経験”になるんでしょうか?
 ブログを読むこと、本を読むこと、あるいは映画を見ること、直接的には経験であることには変わりはありませんが、そこに誰かさんがした経験を切り出すという意思が入っているので、そういった意味では二次的な経験ともいえます。まあ、見た瞬間は”純粋経験”といえるでしょうが・・・
 本書の中で”個人あって経験あるのではなく、経験あって個人ある”といっているので、こういった駄文のブログを読む経験でも、誰かさんの個人形成や意思に影響してるんでしょうかねぇ。よくわからん。

 実は、”経験って何?”ってどんどん難しくなっている話です。かつて寺山修二が”書を捨てよ、町へ出よう(*2)”といった時代ほど簡単ではななってきています。インターネインターネットで世界中とつながるわ、コンピュータグラフィッスばりばりの映画がでてくるわ、テレビは3D化するわ(*3)、ものすごい勢いで現実をバーチャル技術が追っかけていて、部屋のにいても一昔とは比べられないくらい、いろんな経験ができるようになりました。
 まあ、現実の”哲学の道”に立ってみる経験から得る実感と、テレビから得られる実感は違いますが、そこに付帯する知識はテレビやインターネットのほうがはるかに上。娘が大学で”情報メディア論”ってのを受講していて、講義のテキストを見せてもらいましたが、情報メディアの高度化というのは、ある意味”現実感をどう表現するか”といった要素も大きいので、こういった哲学方向での素養も抑えておいたほうがいいのかな。点数にはならなさそうだけど。

 あと何十年もたたずしてマトリックス(*4)がリアルになりかねないような技術進歩の勢いなので、”経験”に対する社会的な評価のコンセンサスを作っとかないと、”実体験だけが正しい”みたいなことになりかねません。在宅のデイトレーダーがリアルに働いてる人より稼いでいるとか、テレビや本ばっかりみているオタクの人が実は知識(限定的だけど)が豊かとかに対する否定的なニュアンスって、実はそうじゃないと思う時もあったりなんかしちゃいます。

 ”善の研究”は、戦前の日本では学生の必読書だったそうですが、昔の学生は頭がよかったのか、おぢさんの理解力が貧困なのか、1回読んだぐらいじゃその深遠にふれることはできなさそう。でも、たまにはこういった浮世のしがらみから離れて哲学書に触れるのもいいかも。老眼入った人用にワイド版も出版されています。

 余談ですが、同じく歩いた奥様もブログを書いてますのでよろしければごらんください。ま、同じ経験をしてもこんだけアウトプットが違うってのは、人の多様性ということで・・・

《脚注》
(*1)西田幾多郎(にしだ きたろう)
 日本を代表する哲学者(1870年(明治3年)~1945年(昭和20年))。
 第四高等学校(金沢大学の前身)講師から、京都大学教授となり、京都学派を創始。
(*2)書を捨てよ、町へ出よう
 平均化された生活なんてくそ食らえ。本も捨て、町に飛び出そう。永遠の青春の旗手が贈る、自分を知る一冊。(Amazon.comより)
 高校の時ぐらいに読んだはすなんだが・・。こんとまた読んでみよう。
(*3)コンピュータグラフィッスばりばりの映画がでてくるわ~
 左右の眼球の視野差を利用して立体に見せる技術で、今後の家電メーカーの戦略商品となっている模様。
 かつてつくば博(1985年開催)の富士通パピリオンで世界初のCGによる全天周立体映を見たときは驚きましたが、当時は水の分子やDNAといった比較的幾何学的な画像を赤青(だったかな)の2色で表示させるだけでも超大型コンピュータを並列につないぐ必要がありました。そんなのをはるかに高度な表現で当たり前にやってるのを見ると隔世の感があります。
(*4)マトリックス
 1999年から公開されたウォシャウスキー兄弟が監督したアメリカ映画。
 現実と思っていた世界が、実はコンピュータの反乱によって作られた「仮想現実」だというお話。主人公のネオが超人的な動きをするとこを除けば、どれが現実でどれが仮想空間かの区別はつきません。

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