天下取っても二合半(俺の空/吾唯足知)
【本】俺の空(本宮ひろ志 集英社文庫)
日本最大の財閥、安田グループの次期総帥の安田一平が、グループ首脳も認める人生の伴侶=奥さんを見つける旅にでるという物語。1976年に週刊プレイボーイに連載。
今回のテキストはファーストシーズン版です(*1)
【旅行】吾唯足知
”われ、ただ足るを知る”と読みます。京都の龍安寺(りょうあんじ)にある”知足の蹲踞(ちそくのつくばい=手水鉢)”に刻まれている文字。徳川光圀の寄進と伝承されています。
写真は”京都伏見の整体日記”より
先日、会社のお嬢さんと”陣内智則はなぜ浮気をしたのか?”の話をしました。
私 藤原紀香が奥さんだったら、私なら絶対浮気なんかしない
お嬢さん 藤原紀香でさえ、落とせたんだから、他の女の人でも
落ちると思ったんじゃないですか?!
なるほど、そういう見方もあるんですね。
でも、離婚してしまったら何にもならないでしょうに・・・
ということで、今回のお題は”それなりの満足”。
若いころは山登りをしていましたが、山に登っていると、”大自然の広大さと個人の小ささ”を感じざるをえません。街にいて、開発された所だけしか見ていないと”人間ってすご~い”と思いますが、山にいると人間が足跡を残していない場所はいっぱいあります(*2)。
一種の達観なのでしょうが、悪いことではないと思います。
以前、アフリカに行ったときにツアーコンダクターの人が”人生感に影響を受けたのは、南極と、サハラ砂漠と、キロマンジェロ”と言ってました。共通するのは人類が作ったものがな~んもないとこ。圧倒的な大自然を前にすると人は謙虚になります。
謙虚さというのは、欲望と満足のどこで折り合いをつけるかと言うこと。野望とか、上昇志向とかを持つのはよいですが、欲望に振り回されていては本末転倒です。
座って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半(*3)
”天下を支配しても、座ったらたたみ半畳、寝れば一畳しか使えない、一日に二合半以上のご飯を食べることはできない”つまり、どんなに偉くなっても、本当に必要なものはたかが知れているといった意味。織田信長が自戒をこめて言ったなど諸説あるようですが、天下を指呼の間に治めた信長の発言であれば、なかなかに興味深い言葉です。
”座って半畳~”の載っている本として、”俺の空(*4)”がお勧め。本宮ひろ志といえば少年ジャンプ創成期以来の”熱血マンガ家”という印象ですが、主人公の安田一平、戸川万吉、矢島金太郎(*4)など立ち位置の違いはあれ、出世には意外と淡白です。偉くはなっていますが、出世の野望に燃えているわけではなく、自分の信じた道の結果として偉くなっているだけ。人として、こうありたいものです。
同様の言葉が、”吾唯足知”。写真を見ていただければ判りますが、真ん中の水をためておく四角い部分を”口”に見立てているところがエスプリがきいています。
知足の蹲踞のある龍安寺は禅宗の一派ある臨済宗のお寺。一般に禅宗は知識ではなく、悟り=”煩悩に左右されることなく、智慧の力によって解脱すること”を重視します(*5)。
まあ、煩悩の最たるものが出世やお金と考えると、名声にも収入にもならないブログをだらだら書いて満足しているってのも、まあ仏の思し召しかもしれません。
《脚注》
(*1)ファーストシーズン版です
この後、刑事編、三四郎編、、オールマン版、俺の空 '03が掲載されました。
(*2)人間が足跡を残していない場所はいっぱいあります
登山道はしょせん線でしかありません。でも、道を外れてうろつきまわるのは遭難の危険性が高いので絶対避けてください。
(*3)座って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半
”起きて半畳”という言い方もあります。
料理をされる方は判ると思いますが、一回で食べるご飯の量としては、一合で1/3余るぐらい。山登りをしていた時は一回に2合食べたことはありますが、今ではそんなに食べられません。もし食べたとしたら、間違いなくメタボになります。
(*4)戸川万吉、矢島金太郎
戸川万吉は”男一匹ガキ大将(少年ジャンプ)”、矢島金太郎は”サラリーマン金太郎(週刊ヤングジャンプ)”の主人公。
(*5)悟り=”煩悩に左右されることなく~
宗教は教義によっていろんな解釈があります。まあ、一般論ということでご容赦ください。
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