ジャズとライラック(青年は荒野をめざす/荒野/ライラック)
【本】青年は荒野をめざす(五木 寛之 文春文庫)
ジャズ・ミュージシャンを目指すジュンは、”自分のジャズに欠けている何か”を探すために旅に出る。ソビエト(*1)、北欧、パリのでのさまざまな人々との出会いを通して成長していく青春小説の傑作。
【本】荒野(桜庭一樹 文藝春秋)
”すこしの孤独は、ここちよいのだ”をご参照
【花】ライラック
モクセイ科ハシドイ属の落葉樹。フランス語ではリラ。でも呼ばれる。”ライラックまつり”の開催される札幌市の木でもあります。白いライラックの花言葉は”年若き無邪気さ、青春の喜び”、紫は”恋愛のはじめての喜び”
写真は、”北の国から通信@HOKKAIDO-北海道”より
ジャス = アメリカ、黒人音楽、ハングリー・アート
ライラック = 北国の花、北海道、渡辺淳一(*2)
先日、桜庭一樹の”荒野”を読みました。で、主人公の悠也くん(中学校1年生)の愛読書”青年は荒野をめざす”を30数年ぶりに再読しました。今回は”青年は荒野をめざす”のお話。
和歌の世界には、”本歌取り(*3)”という技法がありますが、悠也くんの行動も、”青年は荒野をめざす”に多大なる影響を受けていることが改めてよくわかりました。
”青年は荒野をめざす”の主人公のジュンは、自分のジャズを見つけるために、ジャズ喫茶でアルバイトをしながらためた10万円を持ってナホトカ行きの船に乗ります。そこで出会った麻紀、ジャズプレイヤーのフィンガー氏を始め、ケン、クリスチーヌといった個性的な人々たちとの出会いを経て、アメリカへ渡る船の上で話は終わっています。
ジャズはアメリカなんでしょうが、ソ連、北欧といった凍てついた国々は、ジャズの持つ”熱さ”と、自分をクールに見つめる”冷徹さ”をうまくミックスさせています。それに、ライラックの森の中でスチュワデス(*4)のお姉さんと初エッチしているし。
”青年は荒野をめざす”の掲載は、解説によると平凡パンチ(*5)ということなので、読者層は大学生以上であったと思われます。ですから、中学校1年生でこの本を読んでいた悠也くんは相当早熟だったんでしょうね。多感な時期にお母さんの再婚という出来事があって、自分の居場所を求めてアメリカ留学をしたものと思っていましたが、意外とそんなことが無くても、この男の子は家を出ていたかもしれません。
身も蓋もない言い方ををしてしまうと、この小説は”自分探しの旅”でもあります。最近のフリ-ターや、ニートの話にも”自分探し”というのがでてきますが、”最近の若者は”なんて、非難がましくいえた義理ではありません。おぢさん達だって、若いころは似たようなものです。
ただ、大きく違うのは、昔はインターネットやパソコンすらなかった時代なので、”書を捨てよ、町へ出よう(*6)”しかなかったんですね。内向きには、本を読んだりレコードを聞くか、古いギターをポロンと鳴らすぐらいしか(*7)することがなかったので、勢い外向けにアクティブにならざるを得なかったんでしょうか。今のおぢさんが若いころにインタ-ネットがあったら、今の若者と同じことをやってるかもしれません。まあ、こうやってブログを書いてること自体、まんまかも。
安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、
そんなものの一切に、ある日突然、背を向けて荒野をめざす。
だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なのだ。
終章で、教授職や家庭を捨てて蒸発した通称”プロフェッサー”が、ジュンたちとアメリカを目指す船の上で語る言葉です。
おぢさんたちが、ウルマンを持ち出すと危険ですが(*8)、さすがにプロフェッサーが語ると重みがあります。
桜庭一樹の”荒野”を読まれる方には、ぜひあわせて読んでいただきたい一冊。でも、中学1年生にはちょっと早いかな。
《脚注》
(*1)ソビエト
この小説が書かれたのは、1967年。ニッポン放送で深夜放送の”オールナイトニッポン”が始まった年でもあります。当然、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の時代です。現在のロシア連邦を考えると隔世の感があります。
(*2)渡辺淳一
今でこそ、恋愛小説の大家ですが、元々は北海道のお医者さんで医学小説を中心に執筆していました。イメージは”リラ冷えの街(新潮文庫)”から。初期のころはほぼ全作読んでましたが、”失楽園”で黒木瞳様をヌードにして以来、ほとんど読まなくなりました。
(*3)本歌取り
有名な和歌(本歌)を取り入れ、その背景として用いることで、奥行きを与える表現方法。小説や音楽では”オマージュ”がこのたぐいです。
(*4)スチュワデス
原文ママ。キャビンアテンダント(CA)のこと。英語圏ではフライトアテンダントというのが一般的とのことです。スッチーとの合コンは若いサラリーマンの憧れですが、一度も実現しないまま、この年になりました。ちなみに、私の同僚に、一人目、二人目の両方の奥様がスッチーという人がいます。
(*5)平凡パンチ
1988年に休刊となりましたが、かつては”週刊プレイボーイ”と並び称された青年誌。印象ですが、プレイボーイが娯楽色が強かったのに対し、平凡パンチはファッション、カルチャーに重点があったように記憶しています。当時の高校生としては、本屋さんでこれらの雑誌を買うのにとってもドキドキしてました。純情だったんですね~。
(*6)書を捨てよ、町へ出よう(寺山 修司 角川文庫)
こちらも時代を代表する寺山修司の代表作。五木寛之と同世代の詩人にして小説家。
伝説的アングラ劇団”天井桟敷”主宰でもあります。
現在、読書中なので詳細は別のお題で。
(*7)古いギターをポロンと鳴らすぐらいしか
吉田拓郎の”結婚しようよ”より。あっ、プロポーズをしている分、アクティブか!
(*8)ウルマンを持ち出すと危険ですが
アメリカの実業家、詩人であるサミュエル・ウルマンの「青春」という詩のこと。
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
(中略)
人間は年齢を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
(後略 Wikipediaで全文が読めます)
若者は、青春について語ったりしないものです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)













最近のコメント